この小説に関しては、多くの先達の方々によって感想が書かれているので、 今更私ごときがあらすじを述べるまでもありません。
よって、誤解を恐れず後先も考えずに紹介を書く事にします。
<宝塚の最前列が男性で埋まっている異常事態?>
本来、「マリア様がみてる」を出版しているコバルト文庫は女性や女子高生を対象にしているのですが
もはや読者の半分以上が男性になってしまっているのは間違いないでしょう。
アニメと同時に放送されていたCMには『乙女のバイブル』と評されていましたが
アニメの内容が女性向けではないことはもはや明白でした…。
<豪奢で綺麗でお手軽な箱庭?>
特異なリリアン学園の設定と
スペシャルハイソで特異なお嬢さま学校の雰囲気を
『普通な』主人公、福沢祐巳嬢
の視点で描いており
エレガントさと親しみやすさを調和させた、不思議で優しい雰囲気を醸し出し
わかりやすい文章が本を手に取った人々の想像力をかき立ててくれます。
若者向けの単純な文章の羅列と言えなくもないですが、
特異な設定を持っているだけの地味な学園生活で終わりそうなのに
大した反動もなしに読ませる作者の技量・表現・展開は
それ自体が特異な引力を持っており読者を引きつけます。
そんな特質のせいか
「ライトノベル」(本屋によってはティーンズ文庫)と称される
「あまり考えないで登場人物の掛け合いを愉しむで読める中高生のための本」という
多少不名誉な称号を与えられている分野にて
ファン投票で一位に輝いていました。(2004年4月)
果てに、レイニーで止めで一部ファンが怒りを覚えるほどの人気がかかりました…
注:レイニー止めとは
「マリア様がみてる」のシリーズ第10作「レイニーブルー」にて、
福沢祐巳
小笠原祥子
の関係が崩れ、エンディングで祐巳が見捨てられるという、
ハッピーエンドの単体作品基調だったシリーズとしては特殊な幕引きでした、
その後なかなか次作が出なかったために、多くの読者が何ヶ月も錯乱した現象。
<話の展開の巧み>
初めて読む時にはいい意味で予想を裏切られたり緊迫したり先を考えさせられたりするあたり、上手いです。
保険証・入院検査・入院・手遅れ・思い切り・トラブルなんてワードを並べられたら
妊娠を思い浮かべるでしょう、江里子さま…
<表現の巧み>
私が二次創作になかなか踏み切れなかった原因です。
だって、レイニーブルーの描写とか…絶対に女性にしかできないんだもん…アレ…
繊細で特徴のある心理描写、しかも大して考える必要なく
受け入れさせる技量との融合は
私ごときが真似をしても原作を汚すレベルにしかならない…
複雑な事象をあそこまで分かり易く書いている例はそうそう無く。
あまり考えないで登場人物の掛け合いを愉しむというライトノベルの特長を生かしつつ
巧みさを加えるというのはある意味荒業です。
<登場人物の特殊な繋がり>
超絶個人的見解になりますが
奈須きのこ殿の世界に似ている部分です
相手の心境や行動を読むことができる
心境や状況を的確に察知し現実にはありえないほど適切に表現できるような。
超能力を時々もしくは常時発動させている者達が要るという事です。
↑超人の代表、姿はアニメのみの登場、名前のない通称スーパー白薔薇さま
これは両氏の作品であるに共通し
ある程度どろどろした雰囲気でも安心して読む気にさせる効果があります
痛々しい「白き花びら」「レイニーブルー」の後味の悪さをそれで最小限に抑えているのは良く
巴「さっさと友達やらでも呼びつけて、無理難題でもふっかけやがれ。
友達なんてものはその為にいるもんだし、そうしないと離れていっちまうものなんだからな」
(「空の境界」より)
蓉子さま「結局は無駄足だった訳ね。でも、友達なんてそういう損な役回りを受けるためのものよ。」
根底にある考え方が似ていると思いましたな・・・
<優しい箱庭には誰もが憧れる>
むしろ特殊な学園の生活ではなく
あらゆる苦難を抑えるほどの繋がりがマリ見ての醍醐味ではないかと考えております。
原作者作詞のPatel Pure歌詞にもその雰囲気は現れています
朝もやの中、続く白い道
鳥のさえずり、挨拶交わしながら
時に雫が垂れ込めて、日差し陰ろうとも
背筋伸ばして歩く、私は知ってるから
淡い雲の上は青い空
<そして、物語は別の展開へ?>
マリ見てファンならば一度は夢見、
その不可能と、人の無力を悟るであろう
聖女にとっての、あの時…もし…を構築する
原作を汚してしまう行為だとしても…不可能への挑戦を
マリア様の乙女が見てる、白き花びらグッドエンド「静かな夜の鎮魂歌」へ(予定)
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