新たな寮生の受け入れ 「柏木優雨ちゃん、柏木優の実の妹…生まれながらの虚弱体質があって病気にかかりやすく…医療施設でリハビリしてたのだけれど…」 御門まりやさんは、寮の食堂…兼応接室にて、目の前の書類を一つ一つ確認していき… 一呼吸置くためか目の前の紅茶に手をつけた。 その紅茶を淹れてくれた奏お姉さまをはじめ、度曾史さん・皆瀬初音さんもいる。 「本人と親族の強い希望…により、医療施設を退去…リリアンへ編入…と…」 急遽、寮生が食堂に集められたのは、一年生が新たに…予定外に一人増えた事への説明を寮生に行うためと 「概ね、そんな所だ」 その一年生のお兄さん、柏木優という男の人に注意すべき事を確認するためである。 「あ…あのっ…さっきの女の子は大丈夫なんでしょう…か…?」 いつも皆瀬初音さんはか細い声で話すけれど、今は更に輪をかけて小さい… 蚊の鳴くような声…という表現が当てはまるように…それはきっと… 「柏木優、非常事態だったとはいえ…女子寮をいきなり訪ねるなんて、配慮に欠けた行為だったわね」 新入生のお兄さんがが尋ねてきたせいで…皆瀬初音さんがすっかりおびえてしまったからだ。 『人には色々な事情があって、色々な悩みを持って生きています』 ふと、そんなお姉さまの昨日の言葉が思い出される。 あたしは男性との交流がない生活なんて考えられない。 けれども…お嬢さま学校であるリリアンでは、異性が尋ねてくるだけでこうも萎縮してしまう温室育ちのお嬢さまもいると言う事らしい。 それに…柏木優雨さんのような体の弱い子も。 「そのことについては、申し訳ない。親御さん達より寮生をお預かりしている御門さんにもすまない事をした…」 柏木優という、柏木優雨さんのお兄さんの第一印象は、好青年…といった所かな。 素直に頭を下げるあたり、一応の礼節はわきまえているみたいだし。 「謝る事はないわ。つい先程から貴方も、寮生を預ける立場になったもの。 保護者の来訪を拒む道理はないわ」 そう言いながら、御門まりやさんは首だけを食堂の出口に向ける。 妃宮千早さんに抱えられていた…ずぶ濡れになっていた女の子…柏木優雨さんは今、上岡由佳里さんがお風呂に入れている。 「まりやお姉さま、どうしてそこまで柏木優雨ちゃんのお兄さまを敵視なさるのですか?」 すると、お姉さまは意外な事をおっしゃった。 敵視…?確かに他人行儀な態度ではあるけれど… 「敵視?奏ちゃんにはそう見えるのかしら?」 「とぼけても無駄です。『保護者の来訪を拒む道理はない』というのは…『道理を貫くので、実は迷惑だけど我慢する』という言外の意味を含みます。 少なくとも私にはそう感じられるのですよ」 お姉さま…機敏で繊細だと思っていたけれど…そんな事を察した上に適切な表現を当てはめるなんて…なんて言うか…すごい… 「その方が紅薔薇さまの親戚でも…複雑な事情があっても…そういう態度はよくないのです」 「そっか…奏ちゃんはそっちの事情を知ってるのね。大人気なかったとは思ってるわ…」 何なんだ…『紅薔薇さまの親戚』とか『そっちの事情』…って…? 「優しいんだね…それに入れてくれたこの紅茶も素晴らしい香りだ… 演劇部の『白菊の君』…君のもてなしは去年の文化祭の演技と同様に、末永く僕の記憶に刻まれるだろう」 そんな大げさな物言いは…薫子が身近で見ることを強いられてきた不純な人達…詐欺師達…薫子の立場を目当てに取り入ろうとしてきた人達…の雰囲気を感じさせた。 しかし、更に薫子の背筋を凍らせたのは、柏木優という男がそういう人達特有の…『歪み』…のような物を感じさせない… 言ってる台詞が特殊なはずなのに…『好青年』の印象が崩れない不自然さが、薫子を恐怖させていた。 この人は…普通じゃない… 「もてなしと言えば…料理を千早さんに任せておいて大丈夫なの?」 そんな、得体の知れない不安を振り払いたくて、薫子は発言する。 この場に妃宮千早さんがいないのは、濡れた服を着替えたというのもあるけれど…柏木優雨さんのために料理を用意しているかららしい。 「あの優雨が、初対面の人相手に『天使さまのお料理が食べたい』…なんて言い出すとはね…」 そうなのだ。 妃宮千早さんは、柏木優雨さんと話をして…英国方式だから脂ものの多い寮の食事を懸念して、食べられない物を聞きだした後、厨房に行って料理を始めた。 その手際の良さには驚かされる。 さっきの雨の中で異様な表情を浮かべていた千早さんはあの寮の脇の植え込みに寝ていた柏木優雨さんを目ざとく見つけた後だったらしい。 奏お姉さまはあの千早さんを見て、『心的外傷』とか言っていたけど…思い過ごしなんじゃないかな? 「手を動かしていればあの子の気が紛れるわ…好きにさせなさい」 なんだかひっかかる言い方だ…御門まりやさんも、奏お姉さまと同じような感想を抱いたのだろうか? 「まりやお姉さま。久保栞さまがお戻りになられます」 いろいろと事務的なやり取りをしているうちに、上岡由佳里さんがそう言って食堂に入ってきた。 「そう、手が空いている人は全員お出迎えね」 「僕も行こう。改めて挨拶をしたい」 「お帰りなさいませ、 「こんばんは、お邪魔してるよ 寮生たちの迎えの挨拶に、部外者の挨拶が続く様子に、さすがの久保栞さんも少し驚いたみたいだけれども、 御門まりやさんがその場にいた事から概ねの事情を察したみたい。 「5人目の新入生ですか」 落ち着いて食堂に向かい、机の上に並べられている書類を目にするなり事務的な確認をはじめた。 そんな中。久保栞さんの話が一段落する頃、上岡由佳里さんが温まった柏木優雨さんを連れてきて… 妃宮千早さんが柏木優雨さんのための料理を持ってきた。 「一緒に食事をする事を許してもらえるかな?」 柏木優さんも、こんな時間になる事は予想していたらしく。 荷物の中から買ってきたおにぎりを取り出しながら久保栞さんに尋ねている。 どういうことだろう? 柏木優さんも、久保栞さんには気を遣っているみたいだけど… 「保護者の方と食事をするのに。何の問題がありましょうか?」 そう応える久保栞さんの表情は特徴的な笑顔。 その様子に、柏木優さんですらいぶかしんでいる。 全員分の料理を配り終えた後、全員が席について… 「柏木優さんと優雨ちゃん、久保栞さんの祈りを復唱してね」 リリアンのしきたりを知らないと思われる二人に声をかける。 「主よ、今から我々がこの糧を頂く事に感謝させ給え。アーメ「あなたは平安とともにある…主は、あなたと共にあって、大いなる祝福のうちにある…」」 いきなり…栞さんの祈りの途中に響いた声は…聞き覚えのない物だった…。 その声の心当たりは、一つしかない。 柏木優さんは思わず顔をおおってしまっていた。 無理もない、その声は柏木優雨ちゃんのものだったのだから… 「あなたの糧、み恵みは私の助けとなり…限りなく多くの助けは喜ばしい希望となって私達を守りらんことを…」 …よりにもよってあの栞さんの祈りに割り込むなんて… 全員があっけにとられて何も言えずに固まっているうちに、柏木優雨ちゃんは祈りを述べ終わり、目の前の妃宮千早さんが作った食事に手をつけ始める。 なんて大胆というか、頓着がないというか…とにかく非常にまずい… 「天使さま…聖女さま…ありがとう…すごく…すごくおいしい」 そんな柏木優雨さんに…誰も何も言えなかった。 「そう。よかったわ…無理をせずに、食べられるだけ食べればいいのよ」 ただ一人を除いてだった… 妃宮千早さんだけが…柏木優雨さんにグラタンのような…即席とは思えないぐらい手が込んでいて食べやすさを追求したらしいその食事を作った…、柏木優雨さんと話せている。 その優雅な様子に…それを眺める事しかできない。 「優雨。あれほど上級生の言葉には従うように…ぐっ!?」 あわてて優雨ちゃんをたしなめようとした柏木優さんの言葉は途中で中断され…その様子を見て更にびっくりした。 だって、久保栞さんが柏木優さんの口を手で強引に塞ぐなんて思いもしなかったから… 「主は、各個人が異なるようにお創りになられました。祈りに型をはめることを強要する事があってはなりません」 穏やかだけれど、反論を許さない口調で久保栞さんが述べてくる。 「優雨ちゃんの礼拝は無視されるべきではありません」 久保栞さんはそう告げると… 「さあ…私達を代表して祈ってくれた優雨ちゃんへの感謝を胸に…いただきましょう」 久保栞さんはいつもと違うように締めて、みんなに食事を促した。 その言葉に、その場の全員が従っていく。 名実共に、久保栞さんは寮監生だと改めて感じているようだった。 「本当に助かるよ…優雨の寝る所まで都合してもらって」 食事が終わった後、事務確認の続きが一段楽した後の課題は、すぐに寝る必要のある柏木優雨さんの寝場所だった。 急遽押しかける形になった柏木優雨ちゃんには部屋はおろか、家具や服すらない状況なのである。 幸い、柏木優さんは最低限のお泊りセットと服を車で持ってきていたらしく、その運び込みは寮生全員の手で速やかに行われたのだけれど。 女性にとってデリケートな寝る場所となると、さすがの柏木優さんも強く頼めなかった。 けれども…『天使さま』…といち早く柏木優雨さんと打ち解けた妃宮千早さんが、自分の部屋のベッドを使う事を申し出てくれて…当面の問題はひとまず決着した。 初めて妃宮千早さんの部屋に入って確認したけれども、千早さんのクイーンサイズの天蓋つきベッドは、2人で寝るのに不自由しない大きさだった。 やっぱり、千早さんはすごいお嬢さまなんだって思い知らされる。 それなのに、柏木さんたちへの応対や、調理の手際の良さ…さらに優雨ちゃんへの優しい心遣い… 妃宮千早さんや久保栞さんにはとても適わないとまた思い知る。 「家族でありながら優雨を理解してやれない自分が恥ずかしい…なぜ、久保栞さんや妃宮千早さんのように…」 食事の時の祈りのように…優雨ちゃんへ応対できなかった自分が恨めしいのだろうか? 似合わない事を口にする柏木さんに、千早さんは… 「駄目ですよ、柏木優さん。その言葉は絶対に口に出してはいけないものです」 そんな事を告げた。 「理解してやれない…理解して『や・れ・な・い』…です…」 続いて久保栞さんがそんな風に指摘して、薫子も気付いた。 理解して『やれない』、その言葉は上から目線の…居心地の悪さを与える類の物だ。 「感じてしまう…ままならぬ現状に対する怒りを…そして苛立ちを…その中心には多分…優雨ちゃんがいる…」 祈るように目を閉じて、久保栞さんがそんな風に述べる。 そんな久保栞さんは…優雨ちゃんが言うように… 『聖女さま』に見えた。 そんな久保栞さんに、柏木優さんが告げていく。 「僕とした事が その言葉は、久保栞さんと、そのお姉さまである前の 「それは仕方のない事です。お姉さまはいつもお戯れが過ぎましたから」 でも、久保栞さんは気にしていない。 そんな包容する力にほだされたのか… 「優雨の事、よろしくお願いします」 そんな事を言って、柏木優さんは頭を下げる。 うわ…意外すぎる…立派な角度45度の最敬礼…久保栞さんは柏木優さんよりも年下のはずなのに… 「私達寮生一同、可能な限り手を尽くします」 そんな栞さんに満足して、柏木優さんから不安がなくなったように見えた。 「ご苦労さまでした。皆さんの適切な応対がなければ、柏木優雨ちゃんを迎えられなかったでしょう」 柏木優さんが帰った後、久保栞さんの労いの言葉に食堂に集まっていた全員が笑顔で応える。 「疲れているところ申し訳ありません…薫子ちゃん、千早ちゃんのお二人に相談したい事があります。 …ですが、疲れているのなら、明日にしようと思います」 相談したい事…何だろう? 「あたしは大丈夫だけど、千早さんは?」 寮に戻ってからの妃宮千早さんは、帰りに目撃した異常な状態など全く感じさせなかったけれども… 柏木優雨ちゃんとの応対で一番活躍していたはずだ。 「私も大丈夫です、今日中にできる事は済ませておきたいです」 さすが千早さん。全く疲れを見せていない。 「あたしもいけるわよ」 御門まりやさんと… 「私もよろしいですか?」 …奏お姉さまもだった。 「でしたら決まりですね。これから私の部屋に来てください」 波乱の初日は、まだ終わりじゃなかったらしい。 「失礼します」 七々原薫子にとって、久保栞さんのような人…つまり祈る立場の人…の部屋に入るという経験は、今までなかった特殊な物だった。 そんな部屋の第一印象は…本、おそらく宗教関連書籍…が多く見られ、それ以外は、つくりはとても簡素で、部屋の主の品の良さがうかがえる。 全員が思い思いの場所に座り、久保栞さんが話し始める。 「まず。柏木優雨ちゃんのことにですが…私が不在の寮でよく対応してくれました」 「あれぐらいは当然の事よ」 再び見る事になった、まりや従姉さんと久保栞さんの信頼関係、奏さんの様子を見るに、いつもの事のようだ。 「そして、千早ちゃんも…あなたがいなければあそこまでスムーズに優雨ちゃんを迎え入れられなかったでしょう…ふふ…『天使さま』」 「『聖女さま』としては格付けで下に置かれて不満ですか?」 うわ…久保栞さんと冗談で張り合ってる…妃宮千早さんは…ヘンなところで大胆というか茶目っ気があるというか… 波乱はまだ、続きそうだった… あとがき さすがの柏木優さんも、柏木優雨ちゃんには手を焼いています。 |