櫻館の入寮式(中編)

「最後は、七々原薫子ななはらかおるこちゃん」
名前を呼ばれてから、薫子は話す内容を考えてなかったことに気づいてしまった。
しかし、他の人たちもあまり内容を吟味していたとは思えなかったので…気にせずに思ったことを簡素に述べることにした。


「えーっと、七々原薫子です。今年からこの学院に編入することになりました…少しばかり家が遠いので寮に入ることにしたんですけど、あまりの特色にちょっとびっくりしています、よろしくお願いします」
どうだったかな?あたしの自己紹介…

久保栞さんは…相変わらず笑みを崩していない。
御門まりやさんも…大して変化なし、少しだけ楽しそうに笑っただけだ。

他の人たちも最上級生2人と大して変わらない…あれ?
皆瀬初音みなせはつねさんだけが、なんだかおびえたようにこちらを見ている…どうして?


そんな疑問は、御門まりやさんの声にか吹き飛ばされた。
「初日から全力疾走駆け込みを披露するなんて。一味違うわね…くっくっく」
「あ…あれは親爺おやじが場所を間違えたから…」

あれ?
さっきのあたしの言葉に、久保栞さんと御門まりやさんがなにやら目でアイコンタクトをとった。
なんだか釈然としない。
目の前で内緒話をされているようで嫌な気分にさせられる。

「あたしに何か言うことがあるのならはっきり言ってよ。
 目の前で…よくわからない意思疎通をするなんて卑怯者じゃないの」
言ってしまって、最上級生でしかも寮監…に対して思ったことをそのまま口にしてしまう間違いに気付いたけれど、撤回するつもりはない。

「申し訳ありません。薫子ちゃん。気分を害するつもりはなかったのです」
「本当に歯に衣を着せることをしないのね…。なら…上辺の言葉は必要ないわね」
寮の最上級生二人は、こんながさつなあたしでも気にかけてくれる。
自分がこの場に場違いなのはわかっているけど、そんな二人の気遣いがありがたかった。


久保栞さんと御門まりやさんはこちらに向き直り、少し深刻な表情で告げてきた。。


「薫子ちゃん、人のことを言えた義理じゃないけれど、あなたの言葉遣いはまずいの。
 あたしは学校ではお嬢さま言葉を通せているのだけれど。
 あなたは取り繕うことができるとは思えないぐらいズレがあるわ」


うっ…御門まりやさん以外の人達が上品な言葉遣いだから場違いじゃないかと思ってはいたけれど…やはり言葉は慎重に選ばなければならないらしい。

「薫子ちゃん、言葉を慎まなければならないなんて寮則はありませんし、あってはなりません。
かといって…猫かぶりの達人である御門まりやさんを例にするのも多少問題があります、このままにしておくわけにもいかないでしょう」
そう久保栞さんはいってくれるけど…リリアンでの生活が危ぶまれる程らしい。
でも…猫かぶりの達人…久保栞さんって御門まりやさんの事となると砕けた感じになるなぁ。

「薫子ちゃんは外部編入でしょ。
こうなったらもう、マンツーマンで鍛え上げるしかないわね」
「それってまさか…」
「私達が教えるしかないでしょ?
寮の下級生を監督するのは上級生の役目だって一応明記されているんだから…
あたしはともかく栞は外面(そとづら)を気にしなければならないでしょ」
な…なんだか自己紹介から続くやりとりだけで問題児とみなされてしまったらしい…
リリアンってこんな特殊な場所だったの?

「それならば私が教えましょう。寮監である私が責任を持つべき…」
「却下!」
栞さんの提案を中断して、御門まりやさんが口をはさんだ。


「栞はただでさえ山百合会にお勤めに聖書朗読に寮監に選挙にと働きすぎなのよ。
あなたに人のことを気にする余裕があるとは思えないわ。あたしがやるわよ」
「御門まりやさんも陸上部があるでしょう?
それに作法は静かに学ぶもの、御門さんでは何かと気が散ってしまうでしょう。
心配してくださるのは嬉しい。でも今は私に、新たな義務を果たす喜びを噛み締めさせてくれませんか?」
確かに…失礼とは思うけれど御門さんではうまく教えられるかどうか疑問だ。



「駄目です!」

よく通る声だった。
一瞬、誰の声か分からなかったけど、その声が隣の周防院奏さんから発せられたという事は、座っていた奏さんが立ち上がっていたことから分かった。

久保栞さんと御門まりやさんの2人の上級生にとってもさっきの声は以外だったらしく、2人とも驚いて奏さんを見ている。


「どうして義務を無理して独り占めするのですか!?
そんな無茶を平然とできるのですか!?
栞さまは張り切りすぎです。玄関での千早ちゃんへのキスだってそうです。
何をあせっていたのか事情はわかりませんが、一歩間違えれば大惨事になっていたのですよ」
今までとは打って変わった強い声にびっくりした。
冷静で品を失っていないけれど、言葉の端々から気遣いと共に怒りがにじみ出ていて…周防院奏さんが大人しいだけじゃないのだと思い知らされる。

「栞さまのお力にも限度があります。
栞さまは寮におかれましては細かな事は私達に任せ、体を養われてこそ、私達もかえって喜ばしく思えるのですよ。
この寮に住む誰が、それを栞さまの怠慢などと思うでしょうか?」

久保栞さんを見れば変わらなかった笑顔が消えていて更に驚いた。
さっきまでの特異で不思議な笑顔が、困惑に満ちた普通の人の表情に変わってしまっている。

「なのにどうして…私達に委ねてくれないのです?
まりやお姉さまも、及ばずながら奏もおりますのに…」
その場の全員があっけに取られ…御門まりやさんでさえ言葉をかけるのをためらっている。

不自然な沈黙の中、ようやく栞さんが…笑顔の消えた表情で口を開いた。
「奏ちゃん…立派になりましたね。
申し訳ありません……貴女にそんな思いをさせてしまって……」

笑ってはいなかったけれど、穏やかな表情で話す栞さんから奏さんへの敬愛の情がうかがえてほっとした。
きっと栞さんはさっきの言葉を喜び、嬉しく思っているのだろう。

そんな栞さんを見つめながら、奏さんは更に続けた。
「わかっているつもりです。栞さまが託された責務を果たすためにがんばりすぎている事も。
ですから、奏にも、去年一年間に栞さまから頂いた恩情を薫子ちゃんに継がせてください…私に薫子ちゃんへの指導を任せてください」
え?それってまさか…

「奏ちゃんがやるというの?でもそれは難しいわ。
まるで私達2人が職務放棄してるみたいじゃないの…」


御門まりやさんが反対するけれど奏さんは…
「奏は、薫子ちゃんのグラン・スールになります!」
奏さんは宣言するように言い放った。





あとがき

奏ちゃんいきなり姉妹宣言…ではないけれど、小笠原祥子さまが第一巻でやった事に似てます。エトワール時の『白菊の君』の奏は一年前と比べてスペックが段違いに上昇していますのでゲームだけしか経験がないと違和感しかない状態です。
アレでも一応本編では二年後のエルダーなのです。

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