不思議なひと



「はぁ……」
最初の授業が終わった後に出たのは、ため息。
これも、クラスメイトは全員乙女…という慣れない雰囲気に頭が追いついてくれないからである。


「まあ、ずいぶん深いため息を吐かれているのですね。」
かけられた声に振り向くと、目の前に昨日会った女性がいた。
夕焼けを背景にして現実味がなかった人、栞さんが十条紫苑さまと呼んでいた人である。


初めて見た時圧倒された雰囲気は教室の中だと不思議な親しみやすさを感じさせている。
「覚えていて下さったのですね、宮小路瑞穂さん、三年生だとは思いませんでした。
 私、十条紫苑と申します。お近づきになれて嬉しいですわ。」
品のよい柔らかな笑顔だ、こういうのが「本物」なんだなと思い知らされる。


「どうですか、リリアンにおいでになって、慣れる事はできそう?」
「正直なところ、こういうのは初めてなので…面食ら…いえ、戸惑ってしまって」
うう、言葉を選ぶのに慣れていない僕を楽しそうに見てる。
善意なのだからありがたいけれど、いつ気付かれるかと心配するあまりに心臓が凍る。



「瑞穂さんとは仲良くなれそうですわ。
 無理をなさらず、分からないことがあったら何でもご質問くださいね」
「あ、ありがとうございます……」

気を取り直して授業の用意をしようと筆箱を取り出して目にしたのは…
実用性が皆無の…キリンの消しゴム

「………ぐあ」
「ぐあ?」
また、やってしまった。紫苑さんに素の声を聞かれた。


「あの…どうかなさいましたか?あら、可愛らしい消しゴムですわね」
「これ、ちょっと使いにくそうなので……」
明らかに実用性に問題があるそれは、考えなしにこのリリアンに来た事を浮き彫りにしているみたいで…この人には見せるのもためらわれる。


「まあ…では、これと交換しませんか?」
なのに、紫苑さんはそんな事をおくびにも出さずに交換を申し出てくれた。

「えっ……でも、紫苑さんがお使いになるんじゃありませんか?」
「そのつもりでしたが、私のものはまだ大丈夫ですので。」
「では、言葉に甘えて…」
「これは……お近づきの印に、大事にいたしますわ。」
紫苑さんの親切のおかげで、初めの授業は無事に済みそうだった。





「あの、失礼ですけど…間違っていたらごめんなさい。ひょっとしてあなた、男性の方…?」
場所は階段の踊り場、目の前には十条紫苑さん。

ついに恐れていた事が現実になってしまった。





二時間目の授業の後、清水寺から飛び下りるぐらいの覚悟を決めて女子トイレに入ったのはいい。
そこにまりやがいて殴りかかられそうになったのも、トイレの仕組みに戸惑ったのもまだ笑って済ませられる事だけど…




教室に戻った時




「チャックが開いておりましたよ」



との紫苑さんの問いかけに…


「あっ?えっ!?すみません……?」
なんて答えをしてしまい…
階段の踊り場へ連れ出されて…今に至る…。






「男性の方なんて聞くのは変ですね、でも私にはそう見えるのですが」
その理知的な瞳に困惑の色を浮かべながら、紫苑さんには確信がある。
そうでなければこんな質問などするはずがない。
だから、覚悟を決めた。



「そうです…」
そうだよね…そんなに簡単に騙し通せるとは思えなかったし
幸いここで素直に白状してしまえば、誰にも迷惑をかけずにすみそうだ。

本当のことを言って恐る恐る紫苑さんを見ると…




穏やかに微笑んでいた。



「ごめんなさい、驚かせてしまいましたわね。
 私、秘密にしますから」
「紫苑さん…でも…」
「どのような理由かはわからないけど、あなたは悪い方のようには見えないわ。
 それに、せっかくお友達になれそうなのに水を差すのも無粋と言うものでしょう」

「ありがとうございます……でも、どうしてわかったんです?」
やわらかく笑う紫苑さんのおかげで悪い予感が消えてくれるけど、気付かれる素振りすらなかったのに。


「私、体が弱くて、入退院を繰り返しているので色々な人を見かけてきたから。
 その人が隠そうとしている事や悩んでいる事を雰囲気から推察する事ができるのです」
最初に不可思議な感じがしたけど、すごい人だ。


「でも、普通の人にはきっとわからないと思うわ、あなたが男性だってこと。
 仲良くしましょうね……困ったときには頼ってくださって構いませんから」



「楽しい学園生活が送れそうです」

今度は、悪戯をする子供のように笑い。
手を引かれて教室に向かった。







「どうですか?授業の方は?」
「前の学校は進みが速かったので、大丈夫だと思います」

午前中の授業が終わり紫苑さんの気遣いに答える。
さらにくわしく白状するなら、ばれるのが心配で授業の内容が頭に入ってきませんでした。



「前の学校…そういえば瑞穂さんはどちらからいらっしゃったの?」
「快晴高校からです」
「えっ…快晴!?あっ、ごめんなさい…聞こえてしまったものですから」


紫苑さんの質問に答えた途端…周りのクラスメート達が反応して集まってきてしまった。
更に悪い事に、周りの生徒達はさっきまで瑞穂と話すきっかけを待ちかねていたみたいで…。


「去年の期末テストについて、教えてくれません?」
「共学って、どんな感じですの?」
大勢のクラスメート達が矢継ぎ早に質問を投げかけて来てしまう事態になってしまった。



「まあまあ、人気者ね、瑞穂さんってば…ふふ…」
紫苑さん、見てないで助けて…






「言葉遣い等が悪い事をを嘆いたお爺様がリリアンに編入するよう言い遺したのです。
 私はお爺様のことが大好きだったから、その夢はかなえてあげたいと思いましたの」


朝食前の話をなぞる事ができるからなんとか対応し切れているけどもう限界に近い。
共学で女の子と無縁だったわけではないけど、好奇心の塊のような少女達に囲まれるのなんて慣れてないもの。


紫苑さんが隣で僕の答えを見て笑っているのも困る。
男だと知ってて僕の対応を楽しんでいるんですね…紫苑さん。



「もったいない、私と比べると十分女性らしいのに」
隣の席の支倉令さんがそんなフォローをしてくれるけど、アナタのその少年らしい外見は反則です。


その言葉に何も言い返さないでいると気まずい沈黙がその場を支配してしまった。
どうやら、クラスメート達は瑞穂の事を家の事情で編入させられたかわいそうな人だと思われたらしい。



すると、救いの手が意外な所からさしのべられた。
「み・ず・ほ・ちゃん…じゃなかった、瑞穂さん。
 言葉以外はほとんどのところ完璧なあなたがそんな事言っても説得力に欠けるわよ、
 昔から立ち方歩き方なんて仕込まれてるし、お茶にお花に日舞に長刀、
 書道に空手に合気道まで標準装備なんだから」

「瑞穂『ちゃん』…ですって?」
「御門さん…親密なご関係なの?」
「今の話、どういう事ですか?」
隣のクラスにいるはずのまりやの発現に注目が向いた瞬間、隣の紫苑さんが強く手を引いてきた。

ありがたい事に、紫苑さんは観察しながら連れ出す機会を狙っていたようだ。







「はぁ……疲れました」
「ご苦労様です…ふふっ」
紫苑さんに手を引かれるまま屋上まで逃げ切って一息つくと、連れてきてくれた紫苑さんが笑う。


「笑いごとじゃないですよ」
なんだかクラス全員が芸能レポーターみたいな感じだったし。
紫苑さんのおかげで、リリアンの天使達から離れられたのはよかったけど遊ばれているようでなんか面白くない。


「幼稚舎からリリアンだからわからないけど、外部から見ればかなり特異な場所のようね」

せっかく教室から離れられたのに支倉令さんもついてきていたから安心はできなかった。


「ところで令さん…私に用でしょうか」
「はい。選挙についてお聞きしたい事があったので。選挙の票を譲渡するシステムが複雑すぎるようですが…」
支倉令さんは十条紫苑さんとの事務的な会話が目的らしい。


「その事については昨日、白薔薇さまにまとめて渡しましたわ。瑞穂さんの見ている前で…です」
紫苑さん、支倉令さんの注意をこちらに向けないで…。


「…寮に住んでいるの…じゃあ白薔薇さまにはもう会ったのね」
「なに〜?ロサ・フェティダ〜何の話〜?」
まりや登場…。
よかった。フォロー役がこれで二人になってくれた。


「今まで通り令でいい」
「え〜、せっかく薔薇にクラスチェンジしたんだから、ロサ・フェティダって呼ばせてよ〜。
 それとも令ちゃんって呼ばれたい?」

「ま・り・や・さ・ん」
「わかったわ。令」
なれなれしい事この上ないまりやを一発で従えるなんて、支倉令さんも普通じゃないようだ。
でも、さっきまりやが言ったロサ・フェティダってまさか。



「あ…そうか、瑞穂さんは知らないのね。
 私は、今年からロサ・フェティダ…生徒会長の一人をしているの…」
栞さんと同じ薔薇さまの一人だったのか。



「知名度が高くなるにつれ名乗る必要がないと思い込んでしまうのは仕方のないことですわ」
「剣道部のエースにして、ミスターリリアンよ」
ミスターリリアン…確かにこの人はそう呼ぶにふさわしい外見をしている。
教室に入って隣に座った時から、クラスメイト達から一目置かれているみたいだったし。


「それにしても、御門さんの話だと不良さんというイメージだったけど…見ると聞くとでは大違い。
 立派なお嬢さまじゃないの」
不良さんって、まりやは令さんに普段どんな風に話したんだろう。


「令さんもそう思いますか」
「そりゃ、私の自慢の従姉妹だもんね」

すでに正体を知って満足そうに笑う紫苑さんと自慢の従姉妹に女装をさせた本人にまた笑われた…もう開き直っているんだけどね。





「主よ、今より我らがこの糧を得る事を感謝させたまえ、アーメン」


脱出してきた教室から…まりやがお弁当を持ってきてくれていたので
黄薔薇さまを含む四人でとお昼を食べる事になった。


食べながら、黄薔薇さまと紫苑さまがリリアンで生活する際の気をつけるべき事を聞かせてくれる。


まりやや栞さんが既に教えてくれていた事の再確認だけど、個人的に編入生を気遣ってくれる二人の心遣いはありがたい。


なんだかまりやは黄薔薇さまと紫苑さんの両方にも面識があるらしく…

「から揚げ一個ちょーだい」
「いつも通り肉分が不足しているのね。はい」

「相変わらずの味。いつもありがと」
「見返りはもらっているわ、目の前で喜んでもらう事は料理の醍醐味の一つだもの」
どうやら、妙に気合の入っている黄薔薇さまのお弁当は美少年のような見かけの本人が作ったものらしい。

常に一発しか使わないストイックなスナイパーが家に帰ると子犬を飼っているぐらいに意外だ。
フランスの俳優ジャン・レノあたりじゃなければ似合わない。


「気持ちはわからなくもありませんが、失礼ですよ。瑞穂さん。」
危ない、考えを見透かしてしまう紫苑さんはやっぱり侮れない。


「いいのよ、校内新聞で私の趣味・読書・好きな言葉が
 他の人と入れ替えられた事があるぐらいだし…あ…新聞といえば…」
何かを思い出したように黄薔薇さまが考え込んだ。


「注意する事があったわ御門さん…去年のリリアンかわら版に載せられた『ミステリー七番』についてだけど」
かわら版…校内新聞の事かな。


「手違いでリリアンにいるはずのない生徒が二年生の期末テストの順位表の一位にのっていて、ミステリーとして新聞に取り上げられたアレでしょ。
 その名前は宮小路瑞穂、瑞穂ちゃんは編入試験代わりに受けていて、見事一位に輝いたってことね」
え……編入する前に瑞穂の名前が知れ渡っていたってその事なのか?
そういえば令さんもそんな事をいっていた気がする。

「…リリアンにいなかったはずの『宮小路瑞穂』が一位、
 『小笠原祥子』が二位だったから、祥子がその事を気にしているみたいなの…」
まさか…黄薔薇さまがさっき言った祥子って。


「ロサ・キネンシス…紅薔薇さまのの小笠原祥子さんです、
 瑞穂さんが会っていない唯一の薔薇さまですわ」

やっぱり…じゃあ編入前から生徒会長に睨まれてるという事じゃないか…。



「ったく祥子のヤツ。相変わらず融通きかないな〜」
「御門さん…あのミステリー特集のアイデアを新聞部に提供したの、あなただったよね。
従姉妹の名前を大げさにミステリーとして取り上げるなんて…軽率な事よ」
「へへ〜」
令さんが注意するけど全く反省の色のない意外な黒幕。
つまり、まりやのせいで名前が知れ渡ってしまったと言う事じゃないか。



「どうしてそんな事…そんなに僕を困らせたいの」
「え〜違うよ〜。計略の布石のためよ〜。それと…」
「瑞穂さん、減点1」
紫苑さんの言葉を理解する前に…


「僕…女の子なのに…ボク?」
令さんの前で…言ってしまったことに気付くのであった。




「あはははは。なるほど、素行が悪いと言うのはそういう意味か」
「そう、教室でも言った通り言葉遣いがなってないのよ」
笑って勝手に納得する令さんと、あらかじめ作っていたと思われる台本どおりにフォローするまりや…。


こっちとしては心臓が止まりそうなので…やめてください…お願いします。


「わかる、その外見でそんな言葉遣いだったら何が何でも修正したくなるものよね」
「最近では俺とかボクとか呼ぶ女の子が流行してますから、影響を受けたのでしょう」
言うまでもないですが、紫苑さんの流行の定義は間違いです。



「ところで御門さん、紫苑さま。こんな事を聞くのは変に思われるかもしれませんけど。
 エルダースールに…という事はありえるでしょうか?」
エルダースール…黄薔薇さまの口からこれで二回目だけど…何のことだろう。


「先程のクラス中からの質問攻めを見ていると本当に話題性に富んでいましたわ。
 容姿端麗・学力優秀・それでいて奥ゆかしい風情。
 あっという間にクラス中の羨望の的になってましたし…それに…」

紫苑さんは小声で、
(とても普通では想像できない存在ですし…)
と付け加えた。


途端、まりやの顔色が変わる。
「紫苑さま…まさか…瑞穂さんの…」
「ご安心ください、まりやさん。こんな面白い事を話すなんて無粋なまねはしませんわ」
「紫苑さまも、隅におけませんわね」
「まりやさんこそ、瑞穂さんの編入にに一役買っているとか…素晴らしいお仕事ですわ」


いいのか…正体を知らない支倉令さんの見ている前でそんな事言っていいのだろうか。

「なんだか紫苑さま。お姉さまの鳥居江里子さまみたいですよ」
どうやら他の事に気を取られて全く気付いていない模様。
意外と抜けてるところがあるな…この黄薔薇さまは。



「話を戻すけど。あたしも瑞穂ちゃんがもしかするかもしれないと思ってるわよ、令」
「そうですか…それではここで一つ暗躍を。令さんもご協力いただけますか?」
「ロサ・フェティダの立場上、公平を期さなくてはなりませんができる範囲で力になりましょう」

三人は手をそろえて握手してる…。


いったい何の事を言っているのかわからないけど。
女の子だけで話が通じているのは嫌な予感がする。



「学園生活が、この上なく面白くなりそうです」
「紫苑さま、それ限りなく悪役です」
「御門さんがそれを言えるの?」

三人が意味ありげに笑いあっている、この三人。
実はものすごく危険なんじゃないだろうか?




神様お祖父さま…この先、果たして僕の身に何が起こるんでしょうか?


そんな事を考えながらサンドイッチの最後の一切れを食べていると


「お姉さま」
そんな声と共に、おさげの活発そうな生徒が現れた。
確か…朝に校門前で会ったつぼみの一人…だったかな。



「放課後に大事な話がある…と栞さまから伝言です。昼休みと違ってさぼらないように」
由乃ちゃんと呼ばれた子は「納得いかない」という表情丸出しで早足に去っていった。



「あの…何だったんでしょうか、あの子は?」
リリアンでは薔薇さまにあんな風に話しかけるものなのだろうか?


「二年生の島津由乃さん、令さんの妹で黄薔薇のつぼみ…そして、令さんの従妹です」
まだスールというものがどのようなものか実感できていないけど…姉妹関係は十人十色という事を聞いたことがある。



初めて会った時の『同じ苦労をしてる』というような会話から推察すると黄薔薇さまは妹に弱いのだろうか。



「上級生と下級生でできる個々のつながりのことですね。
 大まかな事は教えられましたけど…なんだかさっきのは妹の方が強かったような気がします…」


「うっ……」
言ってはいけない事だったのか、令さまが苦い表情を浮かべる。
「す…すみません。姉妹のことなど全く知らないで…。」
「いいの、瑞穂さんがリリアンに慣れない事はわかってるから」



ため息をついて、令さんは立ち上がる。


いつの間にか、昼休みも終わる時間になっていた。





あとがき

メインヒロイン、紫苑さま登場の巻。
そして原作よろしくばれちゃいました…。

さらにに黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)、颯爽(さっそう)と正体判明

そしてギャルゲーの主人公よろしく黄薔薇さまの好感度を上昇させる瑞穂きゅん…(実際ギャルゲーの主人公だけど)
作品の壁を越えた交友は書いてて楽しいです。

ここでマリみてファンに爆弾を投げつけられないために釈明を…
基本的に原作を壊すようなカップリングはやりません…友達以上恋人以下が限度です。

あと、時を同じくしてに薔薇の館では紅薔薇さまが荒れております…

当然のように紫苑さまが黄薔薇さまとお話していますが…これは後々明かされる事情を含んでいるのでこれでいいのかと思う事がありますが…受け入れられることを願うのみです。

2012/08/01
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