異文化コミュニケーション?


「それでは皆様、ごきげんよう」

入学式を終えて、帰ろうとする頃には、乃梨子の精神力はすっかり尽き果ててしまっていた。

「ごきげんよう、また明日」

悪天候のせいで…予定していた高校に行き損なった時にはこんな事になるなんて思ってもみなかったのに…・
頭痛い…何なんだ…この学校。


「ま…また明日…」
そんな中、一日を通して。乃梨子はふと、自分が前の席のリリアンの生徒の事を目で追っている事に気付いた。
前の席に座っている落ち着きのない生徒は、挨拶も言葉遣いも雰囲気もリリアンの生徒達とは違っている。

「…これから毎日この調子なのか……頼むから、誰か嘘だって言ってくれ…」
そのクラスメイトから漏れたその言葉に確信する、やはり。この人は自分と似た立場の人間だ。


「…嘘だよ」
ほんの少しの悪戯心といたわりの意味を含めてそう言ってみる。
突然の声にがばっと体を起こすその少女に、やっぱり…と乃梨子は思う。
ストレートの黒髪…肩で切りそろえられた乃梨子のそれとは違い、腰まで届く髪が特徴的な子が、呆然としながら見上げてきた。

「多少は気は晴れた?」
「はは…一瞬だけ夢から覚める夢が見られたかな…」
単純…というより表裏がない…どうやら…気を遣うことなく話す事ができそうだ。


「…私は、七々原薫子ななはらかおるこ
「私は二条乃梨子にじょうのりこ。七々原さんも前情報なしにリリアンに入学したの?」
「ん?そうだけど…どうして…?」
もちろん、乃梨子はこの少女の名前を知っていた。
苗字が「な」で始まる七々原さんと。「に」で始まる二条乃梨子にじょうのりこ
五十音順で近いので、七々原さんの後ろの席が二条乃梨子にじょうのりこの席だからである。

「実は私も…」
「へぇっ。そうなんだ…その割には落ち着いているみたいだけれど…」
年齢の割に落ち着いて見えると…確かに言われる。
でも、内心は穏やかじゃないんだけどね…そのことを示すために。
あえてオブラートに包んでみよう。

「『まあ、ずいぶん深いため息を吐かれているのですね』」

…ああ、自分で言ってて寒気がする。
きっと自分はリリアンの生徒のように振舞えないようにできているんだな。

「郷に入っては郷に従えとはいえ…頭痛い…」
「慣れない事はするものじゃないよね」


そんな…登校して初めての気を遣わない会話をしていると…

「歯に衣を着せぬ大和撫子やまとなでしこ達よ。君達となら、上辺の言葉は必要なさそうだ」

…そんな突然の尋常ならざる…しかし気品のある声に振り向くと。
朝に白銀公さん(名前忘れた)に公衆の面前で友情の証(キス)をして、教室を騒がせた。
異邦人の少女…えーっと星の王女…ケイリさんが手を差し出してきていた。


「私も今日が初登校でね、郷に従わなければならない者同士、仲良くしてくれると嬉しい」
二条乃梨子にじょうのりこです…よろしく」
外国人はフランクだと聞いたことがあるけれど…ケイリさんもそうなのかな?



薫子さん「も一応、礼儀としてその手を握ってる…
「私は七々原薫子ななはらかおるこ妃宮千早きさきのみやちはやさんは繊細なんだから、あまり過激なことはしないでよ」
あれ?とするとあの白銀公…妃宮千早きさきのみやちはやさんと薫子さんは知り合いなのか。


「君は千早に憧れているようだね…その気遣いを向けられる千早はきっと、果報者だ。
 慣れない環境にもめげずに歩いていけるだろう」
あれ?じゃあ…
妃宮千早きさきのみやちはやさんも外部からの編入組なの?」
意外にもケイリさんはそれを肯定してきた。


「カオルコ。憧れは理解から最も遠い感情だ。覚えておいた方がいい…」
「千早さんのことを何か知っているの?」
「例えば…彼女は今、シュウシンシツという所へ行っている事ぐらいかな?」
「シュウシン室?」
二人とも、修身室を知らないらしい。


「修身室、華道や茶道のための畳の部屋の事だよ」
伊達に仏像鑑賞やってない、仏像は修身室に飾られるものもあるのである。

「それは興味深い、日本特有の文化を見せてもらうとしよう」
そんな事を言いながらケイリは鞄を取って歩き出そうとするけど…まったく外国人はこれだから…。

「修身室はもともと外界と隔絶するための場所、押しかけるのは歓迎されないと思う」
断りなく聖所に侵入するのはトラブルのもとだ。

「詳しいんだね…じゃあ今日は場所をつきとめるだけにしておくよ」
「私も行ってみる、少しだけ興味はあるし」
修身室…キリスト教の学園にある日本文化がどんな物なのか、興味があった。

「じゃ、あたしも」
二条乃梨子に続き、七々原薫子さんもケイリと一緒に修身室に行く事になった。





リリアンを歩いているうちに修身室を見つけ、その部屋を確認しようと近づいたとき…
「それにしても、君達は美人だな…」
ケイリがそんな事を言い出した。

「な…いきなり何言い出すの!?」
「ケイリみたいな美人がそれを言っても嫌味にしか聞こえないよ」
とうとつな言葉にに薫子さんと一緒に反論する。

「?…この国では美人というと、貴女達のような人のことを言うのではないかな?」
確かに…、欧米文化が入ってくるまでは黒髪が一般的だっただろう。
でも、今となっては髪の色を変えるのも一般的になってしまっている。

「美人…というのは多分、この服をうまく着こなす人の事を言うのだと思う。
 きっと、ケイリみたいに」
そう言いながら、自分の制服を指差してみる。
そうだ、少なくともリリアンにおいては、自分は美人のカテゴリーには入らないはずだ。


「それは君の認識かい?私では大和撫子やまとなでしこみやびがないと私は思うのだけど」
「乃梨子さんの言っている事は正しい。それに…?ん?」

突然、修身室の扉が勢いよく開き、中からリリアンの生徒が走り出しそうな勢いで出てきた。


いち早く反応したケイリがその人の前に立ちふさがって…

「なるほど、大大和撫子やまとなでしこというのは貴女のような人のことを言うのか」
そんな事を言いながら、その女性の手を取ってその甲に唇をつけた。

「っ!」
七々原薫子さんも、乃梨子も呆然としてその光景に見とれてしまう。
それは、その女性がケイリの言う通り、大和撫子やまとなでしこというのが当てはまる人だったから。

すらりと伸びた背に、腰まで届く黒髪は薫子さんと同様…だけど…
雅ささえ感じさせる美しさに加え、その表情は困惑を帯びていながら柔和さを失っていない…
いや、その困惑さえ幽玄な雰囲気を生み出している…
もしこの女性が大和撫子やまとなでしこではないのだとしたら、その言葉を当てはめられる人は一人も居なくなりそう…



「はじめまして、私はケイリ・グランセリウス。私は夜に在り数多星々を司る星の王女だ」
うわぁ…ケイリさん…クラスメイトだけでなく全く見知らぬほかの生徒…しかも多分上級生…にまで言っちゃったよ…。

「私は十条紫苑じゅうじょうしおんと申します」
困惑の色を隠せないけれど、なぜかケイリのキスと自己紹介に落ち着いたのか…女性はそう名乗った。

「修身室の中で失言でもしたの?よかったら私と落ち着ける所に行かないか?」
優雅な声で女性らしく言うけれど…ケイリさん…それはいわゆるナンパです。





礼拝堂…そこは、乃梨子にとってはなじみのない…できれば関わりを持ちたくない場所だった。

宗教の儀式の場所…天国へ導く唯一の正答…そんな常識はずれのうたい文句が平然と許容される、現代社会にあるまじき告解の惑い場。

もちろん乃梨子はお寺や神社に理解がある分、宗教そのものを毛嫌いしている訳ではない。
しかし、日本の宗教に理解がある分、キリスト教は得体の知れないものというイメージがあった。

ケイリは『落ち着ける所』と言ったけれど。
いわゆる『大和撫子』な十条紫苑じゅうじょうしおんさんにはここはきっと落ち着かない場所なんじゃないだろうか?

そんな乃梨子の心配をよそに、礼拝堂の一番前に紫苑さんを連れて行くなり、ケイリはひざをついて両手を合わせ…

「主よ…迷える子羊に憐れみを…こちらの紫苑に慈悲を給わん事を…。
 なぜなら紫苑を知る人はもういない…紫苑を気遣うことのできる人はみんな…紫苑を置いていってしまった…」

そんな…祈りを口にした。
今まで見た事もないような真剣な表情で…一心に…
…その様子は、とても敬虔なもの思われた。
乃梨子にとっての礼拝堂への先入観を壊してしまう程に。

「そんな…どうして…わかるのですか?」
紫苑さんは別の意味で驚き…そしてうろたえている。

「私もそんな経験をしてきたからね…」
そのエメラルド色の瞳は…全てを見透かしているようで…

「さっきの祈りに付け加えるなら、辛いあまりに…
 何か取り返しのつかない事をしてしまった…といったところかな?」
…そんな事を、言い当てた。

「私は…人の心に踏み込みすぎてしまいました…」
十条紫苑さんは、ケイリの眼差しに…思う所があったのか…吐き出すように続ける。

「心に踏み込むのは重い荷物を持っていたり、つらい気持ちに耐えている人たちを助けてあげるためのもの…自分の寂しさを紛らわすためにしていいことじゃない。
 その相手の名前は?」

松平瞳子まつだいらとうこ妃宮千早きさきのみやちはや…」
十条紫苑じゅうじょうしおんさんが口にしたのは、二人とも知っている名前だった。
千早さんと…そして瞳子さん…二人とも一年椿組だ。

「ここに、あなたのことを何も知らない人が二人いる」
ケイリはそんな事を言って、二条乃梨子と七々原薫子を示してきた。

「ノリコ。カオルコ、歯に衣を着せぬ大和撫子やまとなでしこよ…
 異邦人の私に代わり、貴女達の忌憚のない意見を聞かせて欲しい」
ケイリはそう、話を振ってきた。

「言葉によって誰かを傷つけて…悪いと思っているのなら…もうそれでいいんじゃないでしょうか?」
そう答える。

「紫苑さんが何を言ったかは知りませんが…多分…次の日になったら忘れてますよ。
 瞳子も千早も…前の日にかけられた言葉を気にしてなどいられないはずです」

乃梨子さんに引き続き、七々原薫子ななはらかおるこも口を開いた。
「私は…そんな事よりも…
 そういった経験をした上で次の日をどう過ごすのか…その方が、ずっと大切だと思う」
そうであってほしい。
紫苑さんは、自分がどう欲しがっても得られない気品を持っている。
その人が過ちを気に病むのは見たくなかった。

「それでも紫苑さまが忘れられないのなら、及ばずながら忘れるお手伝いをいたしましょう。」
突然、礼拝堂の奥の扉が開き…そんな声とともに見知らぬリリアンの上級生が出てきた。


いきなり出てきて…誰だろう?
礼拝堂にいて当然という雰囲気を醸し出しているあたり、ここの管理者…といったところだろうか?

「栞さん…」
「昨日…晴れて薫子ちゃんのグラン・スールになった奏ちゃんに言われましたよ。
 『なぜ委ねてくれないのか』と…
 その身になって初めてわかるものなのですね」

グラン・スール
なんだ?リリアン特有の言葉なのか?
そんな栞さんを見て、ケイリは…
「なんだ…私以外に紫苑のために何かをしようとしている人がいるじゃないか…
 薫子、乃梨子、行こう。もう紫苑には私達は必要ない」
そう言うと。ケイリは紫苑さんと栞さんを置いて祭壇に背を向ける。

栞さんはそんなケイリに声をかけてきた。
「お待ち下さい。あなたは私にも用があるようにお見受けしますが…」
「私の用事は急ぎません。
 今日の所は貴女にお会いする光栄に服しただけで十分です。
 紫苑の事をよろしく」
ケイリがなぜか栞さんに対しては丁寧に話していることにあっけに取られながらも、ケイリの言う通り礼拝堂を後にした。




「結局、ケイリは何がしたかったの?」
リリアン女学園の校門、マリア像の前で手を合わせるケイリに薫子さんが尋ねる。

「『ケイリ…私の小さなお姫さま。よくお聞きなさい』」
すると、ケイリは唐突にそんな事を語り始めた。
その言葉は今まで聞いたケイリのどの言葉よりも深みがありすぎて…

「『これからあなたの生きていく道の上には、きっと多くの出会いが待っているわ……その中で、重い荷物を持っていたり、つらい気持ちに耐えている人たちとも出会うでしょう』」
…その言葉が戯曲や歌詞の一節とはとても思えなかった。

「『あなたは、その人達を助けてあげなさい……それがいつか、あなたの進む道を照らしてくれるはずだから』」
そう言ってケイリは着けていた小さな髪飾りをなでながら。

「…母の遺言に従った…」
そんなケイリは…普段のとらえどころのない破天荒さとは全く別で…泣いているようにも見えた。

言葉の意味にあっけに取られた二条乃梨子さんと薫子を尻目に、ケイリは歩き出し、校門のところで振り返って…

大和撫子やまとなでしこ達よ。今日という一日の終わりに教えて欲しい…私は気高く在る事ができただろうか?」
そんな事を尋ねてきた。

「わからない、けれど私はケイリのことを…尊敬…する…」
「私も…」
そんなことばを口にする事しかできなかったけれど…

「ありがとう。それではごきげんよう」
ケイリは満足したのか。別れの挨拶とともに笑顔を見せて姿を消した。





「つ…疲れたぁ…」
「うん…同感…」
残された薫子さんと二人で、大きくため息をついてしまった。

「でも、悪くなかった。異文化コミュニケーション…といった所かな」
「うん…大和撫子なんて、言われたの初めてだよ」
そんな風に思えるのは、あのケイリの人徳なのかもしれない。

「乃梨子さん。その…リリアンに不慣れな者同士、仲良くしてくれないかな?」
門の所まで歩いた後、薫子さんはそんな事を言ってきた。
思えば…何もかもが浮世離れしたリリアンにおいて、そういう薫子さんの真っ直ぐな所だけが、乃梨子にとってなじみのあるものだった。

「今更だよ薫子さん。私に断る選択肢があるとでも?」
そんな事を言いながら、手を差し出す。
こんな出会いを恵んでくれたのなら、マリア様に感謝するのも悪くないかもしれなかった。




あとがき

乃梨子視点での話しになるけど…薫子視点とあまり代わり映えしない…
乃梨子特有の観があまり出せてないなら没にしたほうがよかったかな?

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