宗教裁判と和解



「私達上級生は、心から新しい妹たちを歓迎します」

その儀式は教師もシスターも抜きで始まった。


以前に引っ張ってこられた時には栞さまをはじめ、数名しかいなかったお御堂。
今は約200名の新入生が入り、普通なら神父さんがいる壇上には自信にあふれた上級生達が並んでいる。

紅薔薇さまがあいさつをし、話を進めている。
山百合会の人達が全員そろっているので見かけは悪くない。
でも、白薔薇の姉妹…栞さんと志摩子さんが当然のように整列しているという事は別れの現場を見ているだけに違和感がある。



「見慣れない上級生が一人、新入生に混じっていることに疑問を持った人も多いでしょうね。
 まずはその疑問を解決しておきましょう」
司会の紅薔薇さまが合図をすると、新入生の中からきれいな長い髪の背の高い後姿が前に進み出る。


あ、瑞穂さんだ。
「こうやって、あなたと会うことができたんだもの」
そんな前向きで親切な言葉は今でも乃梨子の慣れない生活の支えになってくれている。


「珍しい外部からのに編入生。 三年菊組の宮小路瑞穂さん。
 彼女は三年生ですがリリアンに編入してきたばかりの彼女の心境はあなた達新入生と同じです。
 だからこの場に参加してもらう事になりました」


新入生達に振り返り、頭を下げる瑞穂さんにまばらに拍手が起こる。



「それでは、まずおメダイの贈呈を…」
すると突然、質問を求めるように瑞穂さんが手をあげ、紅薔薇さまはマイクを手渡した。


「おメダイとは、何でしょう?」
み…瑞穂さん〜…新入生の中から失笑がもれてます。



「ここはシスター志望の白薔薇さまに知識を披露していただきましょう」
一瞬あきれたように表情を変える紅薔薇さまだけど、うまく栞さんに話し手を変える。


「偉大なる主イエス様は、パンと魚を五千人に分け与える奇跡を行ったと聖書に書かれています。
 その話にちなんでこのメダイをここにいる皆さんで分け合い、主に感謝しましょう」

ちょっと…栞さん。何で台の上に魚みたいな物を置いてるんですか…。


新入生達は戸惑いを隠せず顔を見合わせている。

「お姉さま。お戯れが過ぎますよ」
「魚の模型まで持ち出して、何を考えているんですか」
「白薔薇様が言うと新入生が本気にするので止めてください」

あわてて止めるつぼみたち…なるほど、これがコメディか。



「私は冗談にも手を抜きません」
言い切る白薔薇さま…優等生のイメージを振り捨てたその出し物にお御堂が笑いに包まれてしまってる…。




「祐巳、頭のかわいそうな人に教えてあげて」
頭をおさえて、紅薔薇さまが紅薔薇のつぼみに指示してる

「は…はいっ…えーと、広辞苑によりますと、『メダルに同じ』との事です」
明らかに日常で使えない巨大な辞書を持ち出して一生懸命ページをめくる紅薔薇のつぼみに乃梨子も笑いを抑えきれなくなってしまった…。









前座も終わり、三人の薔薇さま達が生徒達の首にメダルをかけていく。

「マリア様のご加護がありますように」

ありがたい事に、乃梨子は白薔薇さまにメダルをかけてもらう列。
敬虔な白薔薇さまにメダルをいただくのは他の薔薇さま達にもらうよりも得をした気分になる。



栞さんの前に立つと、笑いかけられたので思わず気がゆるんでしまった。



だから



「お待ちください!」




乃梨子の背後からそんな声が聞こえても、自分には関係ないと思ってしまって声の主に反応する事ができかった。



「こんな物を持っているあなたには、おメダイは似合わないわ!」

そんな声に振り返ると瞳子がなくなってしまった数珠をかかげていた瞳子の姿が目に入る。


突然の出来事に状況を把握できず、お御堂の中で数珠が輝いているのに見とれていると。
いきなり誰かが瞳子の後ろから数珠を奪い取って制服の中に隠し、薔薇さま達の前へ進み出る。



「続けて下さい。今のは見なかったことにしましょう」
宮小路瑞穂さんだった。



…助かった。
数珠を見ることができたのは瞳子の近くの一部の新入生だけ。
乃梨子のものだという事もばれてない。

白薔薇さまの後ろで手伝っていた志摩子さんもほっとした表情をしていた。



でも、近くにいた薔薇さま達まではごまかせないみたい。
「どういう事かしら?」


「リリアンの服装規定には装身具に関する禁止条項がありません。
 それに入学・登校を許可された者ならば、いかなる国籍・宗教・出身によっても差別されない事は、規定に定められる以前の問題です」
たずねる紅薔薇さまに意見する編入生の姿にその場の全員があっけに取られている。



「誰がこれを持ってきたのかなどと聞く必要はありませんし、
 入学して日も浅い生徒を歓迎の場で問い詰めるのは酷です。
 後日改めて事情を聞くのがいいのではありませんか」

整然と理を説き、新入生をかばうため挑むように紅薔薇さまを見つめてる瑞穂さんは、すごい。
整理作業のときといい、普通の人じゃないんだなって思わされる。



「瞳子ちゃん、誰がその数珠を持ってきたのかしら」
紅薔薇さまは無視して聞こうとした。
でも、瞳子は騒ぎの発端のくせに場の雰囲気に戸惑って何もいえないみたい。



「進行してください。さもないと取り返しの付かない事になりますよ

「私達と同じ三年生とはいえ、あなたは新入生です。黙っていなさい」

「最上級生として、こんな晒すような行為を見逃す事はできません。すぐに不問にしてください」

まずい、数珠を持ってきた当事者抜きで大変なことになってる。紅薔薇さまと瑞穂さんの二人のにらみ合いになってしまった。




「やめて下さい!やめて!」
まわりの新入生達もどうなる事かと目を見張る中。
そんな流れに耐え切られなくなってしまったのか、白薔薇さまの隣にいた志摩子さんが叫んで。
瑞穂さんと紅薔薇さまの間に入った。



「瑞穂さま。私の数珠を返してください」
「志摩子さん!」
つい、声をあげてしまった…。
だって、志摩子さんが全て背負って場を収めるつもりだってわかってしまったから。
止めないと。



「いいえ、その数珠は乃梨子さんの鞄の中から出てきたのもです」
瞳子が余計なことを言った、言われなくても出て行くつもりだったけど。



「待ちなさい、ここからが志摩子にとって重要な所です」
なぜか、後ろから白薔薇さまがそんな事をささやいてきたので驚いて栞さんを見つめる、
その間にも話は進んでしまって…



「私が持ってきて、渡しました」
まさか白薔薇さま、この騒ぎって全部…。






「どういう事?白薔薇さまの妹のあなたがなぜあんな物を…」



だ…だめー!これは罠なんだ!志摩子さん!



「私が…寺の娘だからです」



言っちゃった志摩子さんのつらそうな表情を見て、栞さんを問い詰めないと気がすまなくなった。









「…こんな事…卑怯じゃありませんか栞さん!」
「…乃梨子?」

「事故を装って無理矢理言わせるなんて…それは姉としてやっていい事ですか!?」
「乃梨子!」
隣で志摩子さんが悲鳴を上げてるけど。聞いてあげない。



「志摩子さんは自主退学まで決意していたんですよ!そんな妹の不安も知らずに!」
自分でも場違いな事を言ってるってわかってるけど、そう言わずにはいられない。




逆に、栞さんはいつも通り冷ややかに見えるほど穏やかだった。
「知っていました。
 あなたと会った日、小寓寺を訪れた時に志摩子の両親から許可をもらいました」

じゃあ…あの日に乃梨子が幽快の弥勒を見ている間、奥座敷で既に今日の事を考えていたの?

つまり…あのときからずっと栞さんは志摩子さんのことを心配していて…
それでも、志摩子さんは栞さんとの関係が切れてしまうんじゃないかとずっと不安でいて…




「あなたが怒るのも無理はないわ…」

突然、栞さんの雰囲気がかわった。
まるでさっきまでの穏やか表情が仮面で別人のような表情と声に、その場のみんなが…薔薇さま達でさえあっけに取られている。



「一年前、このお御堂を任される事になったシスター志望がいたの
 その人は両親に死なれて信仰に目覚めたのに、リリアンにやってきて…同姓なのに白薔薇さまのお姉さまを愛してしまった」
その内容は、かつて告白室で乃梨子に話した内容だった。


いいの…こんな新入生全員がいる所で話してしまって。


「その記憶が晴れない頃…初めて告白室を任されました。
 私と同じ夢を持っているのにお姉さまが好きになってしまったと顔を見せずに告白した寺の娘…
 その一年生を…志摩子を救ってあげたいと思った…」


つまり、志摩子さんは告白室で、寺の娘なのにリリアンに来ている事の他に佐藤聖さまが好きになってしまったとも話したの…。
よりにもよって佐藤聖さまの妹の栞さんに…相手の顔を見えない本来の告白室の使い方をしていたから…。




「『私の側にいて、私に委ねて下さい。そうすれば、私は私の贖いを証す事であなたに報いるでしょう』
 …そんな私の言葉を守り続けて…愚直なまでに従い続けて…志摩子は相談する事もできなかった…乃梨子ちゃんが現れるまで…
 別れの悲しみを誰よりも知っているのに…
 自分のような人はもう沢山だと泣き続けた末に祈り続けたのに…」

反省も悩みのかけらもないと思っていましたが…、態度に表さないだけで本当は思慮深かったんですね…。





「なんて愚かな白薔薇さまでしょう。
 私はあなたに振り向きもせずに、お姉さまを送り出す事ばかり考えて…
 あなたがあまりに好きだからつい甘えてしまったのね」


自分の事を話す栞さんはいつもと違う…まるで別人みたいだ。
拒絶されるのではないかという不安が顔に表れている。
そんな今にも不安で押しつぶされそうな方が本来の栞さんなんだろう。



それで、わかってしまった。
栞さんは本気で…乃梨子に理解できないぐらい志摩子さんを大事に思ってる。



そして頼りにしていた姉に置いていかれて不安なのは志摩子さんだけじゃなかったんだ。
栞さんも同じ理由で悩んでて、同じぐらい心配してたんだ。



「自主退学まで決意させてしまった私は、こんな形で言わせてでも志摩子を留めたかった。
 私は志摩子を離したくない。
 あなたは主が授けてくださった、考えられる最高の機会だから。
 迷惑と言われても聞くつもりがないの」

「迷惑だなんて…私も栞さまの事をずっと…」

告白室で栞さんに聞いたから分かる。
聖さまと栞さんの過ちを知っている志摩子さんは、その先を言えなくて…泣きたいのに泣けずにずっと悩み続けていたんだ。




「ごめんなさい…ひどい姉で…」


だけどそれももう終わり、志摩子さんは栞さんに抱きついて泣いている。

栞さんは憑き物が落ちたような表情で腕の中の妹を落ち着かせるように抱いていた。






「美しい姉妹愛を見せてくれた。二人に拍手を」

そんな紅薔薇さまの声と共に拍手と涙の渦が沸き起こる。

さんざん振り回された身としては納得いかないけど…認めてあげなくちゃいけない。
この綺麗な二人は呆れるぐらいにお似合いだし…涙が出てきた。



(また、泣かせてしまいました)
栞さまはそんな困った表情で笑ってる。

そして、初めてその表情を綺麗だと思えた。
喜びってこう言うのを言うんだなって感じたから。
全てを受け入れる勇気…だろうか。


泣けなくて人知れず涙を流すなんてつらすぎるけど、栞さんなら喜びに変えてしまいそうだから。










嵐のような拍手と涙がおさまり、黄薔薇さまと紅薔薇さまが志摩子さんに解説なさって一応決着しようとしたけど…
振り回され続けた身としてはこれで終わらせてやるつもりは無い。



「ごめんなさい、成り行き上仕方なかったの…これ…大事にして下さいね」
おそらくは乃梨子と同じように巻き込まれだけの瑞穂さんでさえ、そんな風に謝って数珠を返してくれたけど…。





ここ数日の乃梨子の気分を沈めた直接の原因は…

「薔薇のお姉さま方ー。瞳子お役に立ったでしょう。誉めてくださーい」
なんて浮かれているのでした。




「瞳子!あんたその前に謝れよーっ!」

「そんな必要かけらもございませんことよ!
私がこの台本をお姉さま方に話した時、私は真面目な白薔薇さまに怒られて
薔薇の館も正座とお説教の嵐にさらされたんですから!」
「自業自得だ異端審問官!」
「それは白薔薇さまに散々言われましたわ!」





「その事に関しては私の監督不行き届きです…何も言い訳はできません」

神妙に頭を下げてくる栞さん。
ふっふっふ…白薔薇さまのくせに黒幕…そんな栞さんの弱点発見…ここが攻め所だろう。




「栞さんも珍しく叱ることがあるんですね。
 ちょうどよく瞳子もいますし…ここでその正座とお説教を実践してくれれば許してあげます」


にっこりと笑みを作って栞さまに詰め寄ってみると、それまで成功に浮かれていた志摩子さん以外の山百合会のメンバーが総じて固まった…。


三人の薔薇さまと二人のつぼみと瞳子の回りの温度がマイナスに切り替わった感じ…なんか気になる。



そして、乃梨子の意見に賛成する回りの新入生達…。




「ど…どうしてもやらなくてはなりませんか?」

「必然!」


震える声の栞さんに対し当然を超えて必然と言い放ってやる。

ああ…さっきまでさんざん振り回されてた人に対して高圧的に出られるのがこんなに快感だ何て思わなかった。

いつもの「何が起こっても驚きません」と言わんばかりの仮面が外れて恥ずかしさにうつむいて震えていたけど、覚悟したように栞さんは神妙な顔つきで瞳子ちゃんを正座させた。




志摩子さんも含めてその場の全員が栞さんがどんな言葉を言うのか期待に胸を膨らませる。
後ろで頭を抱えてる山百合会のメンバーを除いて・・・。





「そうですか、ではそこに正座してください。瞳子ちゃんにはきちんと説明しなければ気がすみません…」




栞さんはすう…と息を吸い込み…。













その後、お御堂が大爆笑に包まれた


笑って笑って…笑いまくった…。

志摩子さんでさえ涙を流すぐらいに笑ってた…。
初めて知った、ちょっと泣いた後に思いっきり笑うのはこんなに気持ちよかったんだって。








あとがき

栞さま最高―と言いたいところですが果たしてこの栞さんは受け入れられるのだろうか?

「全ての悲しみ、全ての痛みを、主の喜びに変えてしまおう」
そんな賛美をもとに栞さまの告白を作って見ました。



そして、やっぱりコメディは必要です。



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