「ごきげんよう、ただ今戻りました」 たまの休日、史と一緒の買い物から帰ってくると、玄関で本を立ち読みしながら迎えてくれたまりや従姉さんにそう声をかける。 「千早ちゃんに史ちゃん、編入生に会うに当たってちょっと注意を…」 予定通り、例の寮に入る三年生が来たらしい。 「何があっても取り乱したりしちゃだめよ。声を上げそうになったら歯を食いしばりなさい?わかった?」 歯を食いしばるって何を大げさな… 「失礼のないように振舞うべきなのはわかりますが、何か問題があるのですか?」 史はちゃんとこちらの意図をくんで質問してくれる。 「復唱!」 しかし、こちらに有無を言わせないまりや従姉さんの物言いに… 「何があっても取り乱しません…声を上げそうになったら歯を食いしばります…」 「何があっても取り乱しません…声を上げそうになったら歯を食いしばります…」 よくわからないけど、史と一緒にさっきのまりや従姉さんの言葉を繰り返しておく。 そして、まりや従姉さんの先導で、その人がいる食堂に入る。 食堂の椅子のひとつには、最後の入寮者と思われる少女が座っていた。 長くて綺麗な栗色の髪が特徴の、端整で柔らかな表情を浮かべた美人だ。 リリアンに珍しい3年生の編入生といっても、いいところのお嬢さまといった感じだ。 目立つぐらいの美人だけれども、妃宮千早のように特異な容姿をしている訳でもない。 皆瀬初音さんのように落ち着かない雰囲気があるわけでもなく、むしろ大らかな印象を与えてくる。 しかし、何かが引っかかる… 「はじめまして。今日からこちらの寮に住む宮小路瑞穂です。よろしく」 「はじめまして、一年生の妃宮千早と申します」 このリリアンに来るまでに練習してきた挨拶を交わす。 さっきのまりや従姉さんの異様な感じから難しい性格をしているんじゃないかと心配してたけど、杞憂のようだった。 「…………」 ヘンだな、史が黙り込んで名乗らない。 その様子をいぶかしんだ瞬間、 目の前の女性を見て… 瑞穂…という名前と目の前の人物に心当たりがあることに気付いてしまった。 その名前から…とある可能性に思い至った瞬間 動揺を抑えるのに理性を総動員しなければならなかった。 いや…あり得ない…あってはならないんだ!! あの人が…ここで…こんな事をしているはずが!!? その推測が外れていて欲しいと、自分の思い違いだと願いながら隣の史の表情をうかがって… 史も同じ可能性を思い至ったことに気付いてしまった。 史には珍しい驚きと困惑に歪んだ表情。 御門家の侍女である史は、たった一度でも客人になった事のある人の判定を間違えようがない。 コレは…女装だ。 こいつは…男だ。 「ごめんね瑞穂ちゃん。2人ともちょっと体調を崩してるの」 まりや従姉さんが気を利かせてくれた事も気にならない。 なぜなら、この人が主犯だと推測されるからだ。 「それならば、無理をなさらず。明日には元気になって私と一緒に登校して下さいね」 そんな気遣いを含んだ笑み、完璧すぎる。 だからとてもグロテスクに映ってしまう… 「一体…どーゆー事ですか!?まりや従姉さん!?」 宮小路瑞穂と名乗ったあの男と冷静に会話などできるはずもなく、逃げるように史といっしょに自室に避難し、まりや従姉さんを問い詰める。 「アレは…鏑木瑞穂でしょう!?」 鏑木グループ跡取り、このリリアンの創立者の孫にして、御門千早・御門まりや両名の従兄弟でもある。 「うん、そうよ。あれは瑞穂ちゃんよ。それがどうしたの?」 くそう…こっちの取り乱しまくった反応も想定内らしく、まりや従姉さんは開き直ってとして応えてきた。 「正気の沙汰とも思えません!」 史でさえ珍しく頭に血が上ってる…当たり前か。 御門千早が女装してリリアンに通っている事が公になったとしても、迷惑を被るのは父親をはじめ…ごく少数の人間にとどまるだろう。 しかし、鏑木瑞穂は大企業の御曹司であり御門千早とは立場が違う。 もしこの事実が公にされれば…どれだけの人間が路頭に迷うか想像さえしかねる…。 「ちゃんと学園長先生の許可は取ってるわよ。それにおじい様の遺言だし…」 それが事実だとしたら…あまりにもバカすぎる…人のことをいえた義理じゃないけど。 「で?この重要機密を知ってしまった貴方達はどうするの?」 まりや従姉さんは、こちらをうかがってくる。 それは、リリアンに来て初めてまりや従姉さんがみせる…敵を見るような表情だった。 返答によっては殺すというような威圧さえ感じる一方で、身内にしかわからないようなわずかな不安が伺えた。 結局…非常に不愉快だけれども、この人に従うしかない。 「僕に選択の余地があるとでも?」 まりや従姉さんがやけに千早に協力的だったのも、 女装に関する気配りや用意が周到だったのも、 鏑木瑞穂が編入してくる準備をしてきた事によるものだったのだ。 そして、リリアン学園が妃宮千早を拒絶しなかった事も… 梶浦緋紗子先生が「運命はきっと、貴方の味方」と言った事も… 「…何もかもを壊してやろうって…思わないの?」 まりや従姉さんの意外そうな表情を見て気付く。 やはり、まりや従姉さんもまりや従姉さんなりに、千早の事を心配していたらしい。 その心配は的を外していない。確かに…僕は絶望していた。 自分を偽り続けた果てに、自暴自棄になってしまった…それでも…。 「僕にだって、人として譲れない物はある」 「そう、どうやらあたしは、千早ちゃんのこと誤解していたみたいね」 まりや従姉さんはそう言って、千早の前で方膝をついて…。 千早の両手を取り、 「主よ…我らの神よ、この苦しい我等の時にあって、我等を助け、我等を強めて下さい。 悩みに苦しみ、また自棄に至らんとする者をも強めて下さい。 天から聖霊を遣わし、様々の悲哀、憂いに悩むものを迎え入れしめて下さい…アーメン」 そんな祈りを、口にした。 …おかしい…この人は…こんな女性だっただろうか? 御門千早の知る御門まりやは…こんな…真摯で清廉な祈りを…他者のためにできる人ではなかったはずなのに… 「似合わない事をしているのは承知してるわ、所詮…あたしの祈りは栞の真似事だしね」 まりや従姉さんは自嘲するようにいうけれど…そんな事はない…。 例えその作法のきっかけが栞さんだったとしても、この人の…身近な人を思う気持ちはまぶし過ぎて…。 そして…思い知った。 この人は人知れず…こういう祈りを千早のためにしていたのだという事を…。 「千早さま…!」 「ちょっと…千早ちゃん!」 まりや従姉さんと史の…驚きの声を聞いて… 我知らず…頬を一滴の雫が流れて…顎へと伝わっていた事に気づいた。 …止まらなかった。 …取り繕うという気にもなれなった。 呆けたようにただ…自分が泣いる事を感じても…涙を拭うという考えもなく…何もできなかった…。 もしかしたら自分はこういう物を求めていたのかっもしれない。 あとがき 御門まりやめ…久保栞と関わりすぎたせいでキリスト教の作法に通じやがった… 一応PSP版で一子と祈るシーンを見てみるとそれなりに作法には通じているみたいだけれど… 主人公としての指名か、御門千早の心的外傷はゲーム本編では大して描写されていませんが、こっちでは準主人公なのでやりたい放題… そして全く瑞穂さまは千早ちゃんの正体に気付いていません。 |