部活勧誘

放課後、クラスメイト達の追及をかわすために冷泉淡雪れいぜいあわゆきさん・哘雅楽乃さそううたのさん・松平瞳子まつだいらとうこさんに連れられて足早に教室を出た後、華道部の部室にたどり着くと。華道部の人らしき上級生が花を運び出す所に遭遇した。

香原茅乃こうはらかやのさま。ごきげんよう」
「これは御前に雪ちゃん…ごきげんよう、そちらのお二人は?」
どうやら『御前』というのは哘雅楽乃さんの事で、この上級生は冷泉淡雪さんとも知り合いのようだ。
もっとも、哘雅楽乃さそううたのさんも冷泉淡雪れいぜいあわゆきさんも華道部に入部する事は前から決まっていたようなものらしくその上での知り合いが居てもおかしくはないのだけれども。

…『御前』…なんて仰々しい名前だ。
もっとも、哘雅楽乃さんにはそう呼ばれても違和感がないのもすごいけど…

「見学希望の妃宮千早さんに、松平瞳子さんです」
「ごきげんよう。私は香原茅乃。今年度の華道部の部長をしているの。
 ようこそ歓迎します…と言いたいところなのだけれど…」

修身室から華道の作品を持ち出している最中で…すでに手がふさがっている事から状況は察する事ができる。

「ごめんなさい。見学は歓迎したいのだけれど、見ての通り部活勧誘の準備に忙しくて…」

「でしたらその役目、よろしければ私が代わりましょうか?」
突然後ろからかけられた声に振り返ると…

…長く整えられた綺麗な髪、ただし哘雅楽乃さんとは違って背が高く…何より他では見られなさそうな気品…見るからに上級生のリリアンの生徒が立っていた。

「これは…十条紫苑じゅうじょうしおんさま!?よろしいのですか?」
華道部部長…香原茅乃さまが動揺しているのは意外に感じたけれど…三年生のはずの華道部部長が『さま』をつけているのはどういう事だろう?


「ほとんど顔を見せない幽霊部員の私ですが迷惑でなければ…」
「迷惑だなんてとんでもない。あなたのご指導に私たち部員一同、心から感謝しております」

どうやら、この上級生は指導する立場の人らしい。
華道部は熟練者が少なく指導できるのが顧問や部長だけ…という状況になりやすいけれど…そんな人が…自称『幽霊部員』というのはどういう事だろう?

「よろしくお願いいたしします。十条紫苑じゅうじょうしおんさま」
「お任せ下さい。それでは参りましょう。新しく入ったみなさん」
そんな、自称『幽霊部員』の方に招かれて、4人で修身室にお邪魔する事になった。


部室には入室の際に記帳をしなければならないらしく、十条紫苑じゅうじょうしおんと書いていた自称『幽霊部員』の上級生にならって名前を書く際に異様な事に気付いた。

松平瞳子まつだいらとうこさんの手が震えている?
この人の快活な話しぶりを見る限りでは…めったな事では動揺しないと思っていたのだけれど…。

そういえば、先ほどの香原茅乃さま…華道部の部長も、『幽霊部員』には過剰な反応をしたけれど、一体何を心配しているのだろうか?



「茶道の経験はおありでしょうか?」
慣れた手つきで茶道具を用意する十条紫苑さまはそんな事を聞いてきた。

「私はあります」
「私もあります」
「私も経験者です」
「ないのは私だけですか…」

松平瞳子さんは、経験はないが、興味はあるといった感じ。
ただ、同時にそんな軽い気持ちでここに来た事に後悔しているみたいだけれど…どうやらこの上級生が原因らしい。
指導する立場にあるのに『幽霊部員』…何か複雑な事情があって当然と言えなくもない。

「もしや、緊張していますか?」
「いえ…そのような事は…」
「茶道と言うと、格式ばった硬い印象を持たれがちですが、本来はくつろぐための芸道なのです」
…けれども、観察する限りでは、十条紫苑さまが性格や態度に問題があるようにも思えなかった。


「修身室は初めてですが…やはり独特の雰囲気がありますわね」
殺風景…松平瞳子さんにとってはそんな印象を持つものなのだろう。


「家居の結構、食事の珍味を楽とするは俗世の事なり」
十条紫苑さまが格言を語る、その言葉には、聞き覚えがあった。

「えっ…?」
けれども…さすがに未経験者の松平瞳子さんにこの意味を求めるのは酷というものだろう。

「利休居士のお言葉ですね」
哘雅楽乃さんが応答する。

「茶道の本意は見かけの美しさや、華やかさとは無縁…という事でしたか?」
それに続いて、記憶とたどって出てきた知識を添えてみる。

「それであってるわ。さすがお二人」
これは、淡雪さん。



「それでは、茶の湯を楽しんで頂きましょう」
それにしても。
この十条紫苑という女性と、茶道具という取り合わせは…とても絵になっている。

「足の方は、つらくありませんか?」
更に、流れるような丁寧な所作の中の気遣いも忘れていない。

「なんでしたら、崩されても構いませんよ」
「いえいえ!そんなわけには参りません!」
松平瞳子さんの上ずった声で気付く…やはり変だ…瞳子さんは、十条紫苑さまを怖がっている?


「先も言いましたとおり、くつろぐ事が目的なのですから。各人が各様に楽しまれたら良いのです」
「そういうものですか?」

「作法に厳しいお方もおりますが…私個人としては、人の数だけ楽しみ方があってもよいと思います」
部活勧誘なのもあるだろうけれど…こんな人の何を、瞳子さんは恐れているのだろうか?


「どうぞお召し上がり下さい」
「頂きます」

「哘雅楽乃ちゃんと、冷泉淡雪ちゃんは茶道部への入部が決まっていて…妃宮千早ちゃんと松平瞳子ちゃんは様子見…と言ったところかしら」
流石というべきか…十条紫苑と名乗る上級生はこちらの入部に対する考えを言い当てなさる。


「十条紫苑さまのご指導を受けられるのを楽しみにしています」
哘雅楽乃さんがそんな事を言うけれど…

「私は…華道部に関われるかは分かりません」
十条紫苑さまは少しさびしそうに目を伏せなさる。

「やはり、お体が優れないのですね」
間違いない、松平瞳子さんは十条紫苑さまのことを知っている。
なるほど、それで『幽霊部員』なのか。

「でも…あなた達のような期待の新星の方が入部するのなら…参加したいと思いますわ」
そんな風に笑って妃宮千早と冷泉淡雪さんを眺めてくる。
…やはりこの外見はアクセントが強い…。

「だって、どうする千早さん?」
うっ…淡雪さん、そこでこっちに振りますか…。
哘雅楽乃さんも期待するような目でこっちを見てるし…。

「まだ確定ではありませんが…きっと華道部の方のお世話になると思います」
さっきまで考えてきた、不順で後ろ暗い動機を含んだ考え…修身室を人目から逃げるための場所として使うという当初の目的は果たせそうだ。


「松平瞳子ちゃんは、妃宮千早ちゃんに言いたい事があるようね」
「やっぱり、紫苑さまにはわかってしまいますか…」
もう間違いない、この十条紫苑という上級生と、松平瞳子さんは顔見知りの間なのだろう。


「紫苑さまには、私がどんな風に見えますか?」
「早く言ってしまったほうがいいという事は瞳子ちゃんもわかっているけれど、
なかなか言い出すことができない…そんな所かしら?」
人柄や性質を知り合うぐらいに…。

「それでは。妃宮千早さん、尋ねさせてもらいます」
松平瞳子さんは紫苑さまの言葉に納得したのか…改まって…こちらに向き直ってきた。

「つかぬ事をお聞きしますけど…千早さん。もしかして役者の経験がおありになります?」
「え…?いえ、全くありませんが…」
その内容が全く予想のできなかったものなので、少し戸惑ってしまった。

「そう…。言葉の端々に芝居がかったものを感じます。
それに、声質も…ずいぶん音域や声量に幅がありそうですわ」
ま…まずい。
まさか、気付かれそうになっているのか…女装に!?

「瞳子さんは、リリアン中等部の頃から演劇部なんですよ」
冷泉淡雪さんが説明してくれる。
あ…あうう、なるほど、演劇部だから…『演じて』いる事に敏感なのか。


「では、単刀直入に言わせてもらいますわ。
 私と一緒に、演劇部に入りませんか?」
その言葉が。断られる事前提の誘いである事を、本人もわかっているようだった。
さっきからの千早の態度に…華道部に所属する事に乗り気である事を察する事ができない瞳子さんではないはず。
それでもあえて、その言葉を述べる瞳子さんの真っ直ぐな態度と視線は、後ろ暗い考えを部活に持ち込もうとしている千早にはまぶしすぎて…

「誘いは嬉しいのですが…申し訳ありません」
断るのに、罪悪感を感じてしまう。

「ちょっと残念ですわ。もしかしたら、ダイヤの原石なのかもしれませんのに…」
それでも、吹っ切れたような瞳子さんの表情から、断られたのに不快に思わない瞳子さんの品の良さがうかがえる。

「もちろんそれもありますが…瞳子ちゃんが千早ちゃんを誘うのは…お二人が対照的なのに似ているからですよ」
唐突に、十条紫苑さまが口を挟んできた。

「千早ちゃんは…瞳子ちゃんの正反対…、瞳子ちゃんと全く逆のものでできています。それでいて…よく似ている…うまく言葉にできないけれど…全く似ていないにもかかわらず、不思議とお二人には同じ匂いを感じます」
ヘンなことを言う人だ…だけど、
何だろう?その言葉が何か的を得ているように感じられる。

「具体的に、どの辺りが似ているとお感じになられますか?」
冷泉淡雪さんが先をうながした。

「二人とも、不器用なところがあります。
心根が…素直で純粋過ぎるが故に…情熱家で…持て余してしまって…
身近な人を愛しているから…変わり果ててしまった」

もう少しのところで「やめろ!」と叫ぶところだった…。


そうしなかったのは瞳子さんがいきなり千早の手をつかんでくれたおかげで…
自分でも気付かないうちに逆上しそうになっていた事に気付いてしまう。


「十条紫苑さま…修身室はくつろぐ場所だと主張しながら、本人も知りえない内心を…
 求められない所まで言葉にするのはあんまりではありませんか?」
千早と瞳子の動揺を察してくれた雅楽乃さんが紫苑さんに注意してくれる。

「あ…私は…何を……」
心が、激しく揺れているのは、どうやら千早と瞳子さんだけではなかったらしい。
十条紫苑さまも同じだった。
あれは…自分の事に確信が持てず…懸命になって取り繕いながらも…それでも覆い隠す事ができていない。

「ごめんなさい…私は頭を冷やさなければなりません………っ!」

立ち上がり…走り出しそうな勢いで、慌てて修身室を出て行ってしまった…。

「何だったのでしょうか?今のは」
自分でもわからない興奮をごまかそうと必死になりながら、他の人に意見を求めてみる。

「悪く思わないで下さい…あの方は…苦労しておられますの…」
松平瞳子さんが紫苑さまをフォローする。

「留年…なさっているのです」
そんな風に付け加える雅楽乃さんは、4人の1年生で唯一、冷静だった。
さっきの紫苑さまへの意見といい、この中で一番しっかりしている。


「そんな…じゃあお体が優れないというのは…?」
出席日数が足りなくなる程の、失調だという事だ。

数年連れ添った友人達は皆、置いていってしまった。
周りの生徒は皆、かつての下級生。

不登校と失調…原因の違いはあっても、千早が経験しそうになった事をあの人は経験しているのだ。
そんな状態が迫り、想像しただけで目まいがしそうな状況にあるのだ。

「それに多分…紫苑さまの言っていることは正しい。人の心に敏感なお方だから…
 言われてはじめて気付く事ってあるものですわ。
 妃宮千早さん。私は…あなたの事がどうも他人に思えなかったの」
「瞳子さん…」

「ごめんなさい…今日一日…本心を隠して…だますようにして」

ここに、妃宮千早という、いろんな事を隠しまくった存在があるのに、そんな些細な事で
真っ直ぐな瞳子さんが引け目を感じるなんて…理不尽すぎる。

「どこに引け目を感じる必要があるのです?
 ごく自然な…初対面の人に対する行為でしょう?
 線引きのない話とスキンシップは白薔薇さまロサ・ギガンティアとケイリさんで十分です」

「くっ…」
「ふふっ…」
千早が二人に何をされたのかの噂と…それを千早が否定しなかったのを思い出したのだろう。
冷泉淡雪さんと哘雅楽乃さんが微苦笑を漏らし、釣られて瞳子さんも笑って
紫苑さまが去った事による気まずい空気が晴れていく…。

「それに…演劇部へのお誘いはご遠慮しますけれど…私達はもうお友達でしょう?」
本心から、そう言う事ができた。
こんな僕にも…一度失敗した自分でも…そう思ってくれるのなら…応えるのも悪くないと考える事ができた。

「ありがとう、これからよろしく千早さん」
「私の事もよろしくね、白銀公」
「『謎の金髪ちゃん』と呼ばれたくなければ、その呼称はやめてください」
「ああっ、うたちゃん。私の過去の呼び名を教えたわね」
「それなら、私の事も御前と呼ばないで下さいね」

修身室の4人の会話は和やかに続いてゆく。
それを心地よいと思う自分も確かに居て…。

(謝らなくてはならないのも、お礼を言わなければならないのも私のほうです…瞳子さん)

修身室という特殊な場所とはいえ、周りの人間に合わせられないはずの…自分を押し殺すのが当然のはずの妃宮千早にここまで言わせるなんて…。

3年間を切り抜けるために…目立たず騒がず生きていこうと思っていたはずなのに…。



あとがき
あろう事かよりにもよって十条紫苑さまと遭遇、幸い今回は情緒不安定なせいか気付かれませんでしたが…
あと、瞳子ちゃん大活躍…マリみてではヒロインキャラとしてのスペックがあるのに
本編でその出番がなかったせいで園樹の妄想が暴走してやみませんが構うものか…


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