「千早ちゃん、机はそっちよ。史ちゃんは本棚セットして」 入寮式が終わった後、 きっと今頃、周防院奏さんは『薫子ちゃんの姉(グラン・スール)になります!』と言い放った薫子さんへの初指導として…御門まりやが史と千早にしたように…寮の決まり事や注意などを伝えているのだろう。 それから、リリアンの きっと、2人のこれからの関係を決める会話になる。 そんな重要な話を周防院奏さんの部屋でしている薫子さんに代わって、必要最小限の荷解きを行うことになったのである。 「今のところ衣類は制服以外は必要ないはずね、…おっと千早ちゃん、それを開けると、薫子ちゃんから末代まで祟られるわよ」 ダンボールの中身を確認している最中にと、そんな大げさな事をまりや従姉さんは言ってきた。 「何なんですか?これの中身は?」 「…女の子には見られてはいけない聖域があるものなのよ」 「史が推測しますに、『呪われる』のではなく。俗に言う『女性がお嫁にいけなくなる』ものかと…」 それってつまり…見てしまったら傷物にしてしまうという意味なのだろうか? …深くかかわらないほうがよさそうだ。 「あ、お嫁にもらうというのもアリねぇ…くっくっく…」 「ちょっとまりや従姉さん!」 あわてて周りを見渡すけれど、この部屋には 2人は久保栞さんと一緒に入寮式の後片付けをしているはず…しかし今の発言はあまりに無用心じゃないだろうか? 「自意識過剰よ千早ちゃん。それぐらいは軽く流せないとばれるわよ」 「史からも、今の発言は聞かれても問題ないように思われます…」 …性差による認識の違いだろうか? それともリリアンと言う場を知らない事による認識の差だろうか? 「…ただ…先程の言葉に動揺するなと言うのは千早さまにはあまりにも酷なのではないかと…」 そうなのだ…。 さっきまでの入寮式だけでも…もう…精神的に疲れ切ってしまった…。 …というより、自分のお嬢さま演技に目まいがしてきた… こんなの…3年間も続けていられないぞ… 「なればこそ、事情を知ってるあたしの前では羽を伸ばしなさい。 千早ちゃんが繊細なのは知ってるつもりなんだから」 そんな事言われても、完全な味方と認識できる程、おめでたくはない。 …だけど… 「わかったよ。『まりや従姉さん』」 御門まりや、度曾史。 この二人の前でだけ、御門千早として…本来の気持ちに戻る事ができるなら… 僕はまだ、がんばれるかもしれない… 今は家族を大切にする事だけ考えよう。 思いがけず、このリリアンの寮にこちらの事情を酌んでくれる従姉がいてくれた事を喜ぼう。 「史ちゃん、お得意の御門家ベッドメイキングをお願い」 「かしこまりました」 「あーすっきりしたところで、新品のベッドにダ〜イブ〜」 薫子さんの部屋の荷解きが終わり、まりや従姉さん・史の二人は妃宮千早の部屋に移動していた。 その理由は… 「まりや従姉さん、そんなにそのベッドが気に入ったのならあげますよ」 どうやら、この部屋の妃宮千早の天蓋つきクイーンサイズベッドの寝心地を試したかったらしい。 「うーん、一時的に楽しむ分にはいいけど、あたしにはちょっとやわらかすぎるかな〜」 だったらそんな物を僕のために用意しないでください…いや、事情を聞く限りでは史のために用意したものらしいけれど。 「千早ちゃん。こちらにまりやお姉さまはおられますか〜?」 突然、ノックとともにそんな声が聞こえたので。気を引き締める。 ここにいる二人以外に素の自分を見せる訳にはいかない。 「ええ、こちらにおられます。どうぞお入りになって」 ドアを開けると、まりや従姉さんの 「まりやお姉さま。今日の風呂の順番はいかがいたしましょうか?」 上岡由佳里さん…僕のベッドでゴロゴロしてる事への突っ込みはなしですか? それとももう、まりや従姉さんの破天荒ぶりに慣れきってしまってるのだろうか? 「そうねぇ…今日は荷解きのご褒美として、そこの二人が最初でいいんじゃないかしら?」 「かしこまりました。じゃあその次に初音ちゃんということで」 「ほ…本当に、一緒に入るのかい?史?」 「千早さまはこれから女子の中で生活する身、当然体育の時間における更衣なども女子の一員として平然と行えなければなりません」 風呂場にて…千早は侍女として従ってきた少女の申し出を断らなかったことを後悔していた。 しかし、胸に接着しているシリコン製の胸パッドを外すためにはどうしても一人では都合が悪いという事情もあり、やむを得ず一緒に入ることになったのである。 「さすがに一日中つけてると皮膚がかぶれてしまうもんね」 あれ?さっきここにいるはずのないヒトの声が… 「まりや従姉さんっなんでここにっ!」 「まりやお姉さま…どうして!?」 『使用中』の札は掲げていたはずなのに… 「何あわててんのよ。以前は一緒にお風呂とか入ったじゃないの」 いつの話だよそれ!?少なくとも5年以上前であることは間違いないよ! 風呂場で史と一緒にいるのはまだ耐えられなくもない。 いつも身近に接してきたのだから免疫があるのだ。 だけど、バスタオル一枚だけ巻いて突撃してきたまりや従姉さんは記憶に微かに残っている姿とは違い、その体は成熟した女性のそれだ。 しかも陸上部で鍛えているせいか健康的で引き締まった肢体が千早にとっては魅惑的過ぎて…ダメだ…意識が飛びそうになる…。 「まりや従姉さん、わざと僕を困らせようとしてませんか?」 「何言ってんのよ。千早ちゃんのためじゃない」 くっ…その言葉で何でも正当化できると思うなよ。 「こういう接触に慣れておかないと、後で後悔するわよ〜」 だから!体を押し付けるのはやめてください! 「はぁ…」 なんでだろう、風呂場ってくつろぐための場所だったはずなのに… 一人で脱衣所まで来て…ものすごい疲労感に襲われてしまった。 「千早さま…夜具にはこれをお使いになってください」 「ああ…さすがに男物のパジャマじゃまずいか」 その後に、さらに疲れることになるとは思いもよらなかった。 「って…なんだこれ!?」 「何と申されましても…お母様がご用意なさった 「そんな事を言ってるんじゃなくてさ!」 形容しがたい量のぴらぴらのひらひらの飾り付けがしてあり、どこぞの王侯貴族御用達の寝具…という表現しかできない代物である。 「それ、パリ この時期に仕入れるなんて…でも…似合ってるぅ…」 「ぐっ…母さん!」 さすがに一瞬だけ、憎しみで人が殺せたら…とか思ってしまったじゃないか…。 ちなみにまりや従姉さんもネグリジェだけど…動きやすさを重視したらしい活発なイメージのそれは千早のものと比べると質素な印象を与えてくる。 「上がりましたか…ってああぁー!」 更に間の悪いことに、皆瀬初音さんが脱衣所を確認しようとこちらを見て…驚いてつい声を上げてしまう。 もういきなりここから恥さらしですか… 恨みますよ…母さん…。 「す…すごく似合ってる…千早ちゃん。お姫様みたい…」 は…初音さん…悪気はないのはわかりますけど…その言葉はものすごく傷つきます…。 「 ぐっ…栞さんまで悪意のある笑顔で あと、ビューティフルじゃなーいっ! 「栞、キャラ変わってるわよ」 「私だって羽目を外したい時ぐらいありますよ…それに…」 栞さんは隣にいた小さな上級生を見て先を促す。 「綺麗な女の子に綺麗だって言うのは義務なのですよ、言われるほうもです」 「すごく…ゴージャスな寝巻き…」 「なんだか、『パンがなければ、お菓子を食べればいいじゃない』とか言いそうだね」 周防院奏さん・上岡由佳里さん・ あと、僕はマリー・アントワネットじゃない! 「自分で選んだ寝具でしたら…素直にお礼を言いたいところなのですけれど…」 「それは、誰がお選びになったのですか?」 「母です」 「ふーん、自分の娘のことをよくわかってるんだ…ちょっと羨ましいかな」 「羨ましい?」 周防院奏さんをはじめ、全員が薫子さんを見つめた。 あ…まずい、あまりいい雰囲気じゃない。 「あ…いや。あたしは生まれたときから母さんがいないから、どんな感じなんだろうって…」 ダメだ…薫子さん。素直なのはいいけれど周りの人の状況を読めてない。 「この寮にはあなた以外にも。本来いるべき家族の方がいない人はいます。 でも気にしないで下さい」 久保栞さんはそう言うと、この話は終わりだとばかり。自分の部屋に向けて歩き出す。 「私の家族は皆さんです」 笑顔で、そう言い残して…。 「一体何なの…あの人…なんだかおかしいよ…」 寮監とはいえ、久保栞さんの尋常ならざる様子に、薫子さんはおびえているようだった。 「薫子ちゃん。あたし達は今日が初対面なのよ。 さっきみたいなディープな話題は互いのことを知り合って初めて許されるものだって事…わかってもいいはずだけど」 まりや従姉さんが薫子ちゃんに注意する。 「…ごめんなさい」 「わかれば、もうこの話題はあまり口にしないこと。 今は、この寮でマトモなのあたしと初音ちゃんだけってことだけ言っておくわ」 つまり、本来いるべき身内が全員健在なのは。 まりや従姉さんと、皆瀬初音さんだけだって事なのか。 「あと、栞は大切なものが欠けちゃってるのは認めるけれど。 誰よりも愛情にあふれてる事も確かよ」 「でも、あの人だって今日が初対面のあたし達のことを家族だなんて…」 確かに、栞さんの様子には人間味がないというか…不可侵な何かを感じる。 素直な薫子さんにはそれが耐えられないのかもしれない。 「薫子ちゃん。 あの方は不可思議な所がありますが、決して私利私欲で働く方ではありません。 …と言うより私利私欲というものを両親と共に無くしてしまったのです」 奏さんが神妙な口調で諭すように重大なことを告げた。 あの人間味のなさは大切なものを失って…壊れないために必要なものなのか。 家族という、身近な人を亡くすことがどれだけ重いことで…人を壊すのに十分な事なのか…千早は知りすぎるぐらいに知っている。 「そんな…あたし…なんて事を…あ…謝らないと…」 さっき立ち去った栞さんの後を追おうとする薫子ちゃんだけれど、まりや従姉さんがそれを止める。 「やめておきなさい。栞はあなたの言葉を毛ほどにも感じてないわ。 頭を下げたところで逆効果だと知りなさい」 「でも…だったらあたしはどうすれば…」 素直な薫子さんは自分の失言を謝らずにいられないらしい。 何より自分の後先考えない性質を嫌悪せずにいられないみたいだ。 「簡単ですよ」 そんな苦悩を見ていられなかったから…つい…。 「その真っ直ぐな態度のままで。 あの方のことを母親だと思ってあげればいいのです」 そんな事を、口にしていた。 「千早…」 呆然として、薫子さんはこちらを見つめてくる。 あ…言ってはいけないことだったな、今の… 「うん…そう…そうだよね。ありがと」 自室に戻り、鏡を見る。 「あの方のことを、母親だと思ってあげればいい…」 それが…どれだけ僕にとって疲れる事なのか…わからなかった訳ではないのに。 自分にできないことを勧めるなんて…。 もっとも、薫子さんなら造作もなくやってのけられるだろう。 でも、僕には難しすぎる。 その理由はわかる。 …僕は…いけないと知りつつ…人を拒絶しようとしている…。 …誰とも話してはいけない。 …何も語りたくない。 …何にも触れたくはない。 そんな思考が習慣となってしまってる…。 ならばなぜ、薫子さんに手を差し伸べるようなことを言ったのだろうか? 姉の周防院奏さんやまりや従姉さんに任せておけば何の問題もなかったのに…。 でも礼を言う薫子さんがあまりにも嬉しそうだったから。 それを見守りたいと思ってしまったのかもしれない。 「やめよう…」 深く考えても答えなんて出るはずがない。 まして、他人のことを考えていられる余裕は今はないんだ。 今は、できることをやるだけだ。 あとがき まるで、おとボク2の中に御門まりやとかがいたらIF状態になってしまっております。 あと、薫子の方針も一部変更になりました。 |