「お帰りなさいませ。千早さま。今日はお変わりありませんでしたか?」 茶道部室での談話を終えて、華道部の2人… 寮の玄関先に史がいて、そんな声をかけてきた。 「変わりはないわ、史」 いつもなら、『大丈夫だよ、史』だけど…今は正体を偽っている身。 普段通りの対応などできようはずもない。 「じゃあどうして、帰りがこんなに遅いのよ」 扉の向こうにいたまりや従姉さんが現れて少し不機嫌な様子で尋ねてくる。 「少し部活に誘われまして…人目を避ける意味も含めて華道部室へと…」 「ふーん。一日目にして避難先が必要になるなんて、もてもてねぇ…『白銀公』さん…」 こちらの事情をすぐに察してくれたのにも驚いたけど…もうその二つ名が3年生にまで伝わっているのに愕然とする… 「あたしの情報網を甘く見てもらっちゃ困るわね。もっともあたしも初日でここまで騒がれるとは思っても見なかったけれど…」 「千早さまはお気に召さないかもしれませんが、千早さまの外見はとても目立ちますし…史の知る限り校内で千早さまを見かけた方の大半が真相を知りたがっているかと…」 そんな事を話しながら、まりや従姉さん・史の2人と連れたって自分の部屋に入室して… 「はあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁ・・・」 肺の空気を全部搾り出しかねない勢いのため息が、自然と漏れてしまった。 「今日一日、女装ご苦労様…といいたいところだけど。一日目でコレじゃ先が思いやられるわね」 「千早さまは何でもお出来になられると思っていましたが…さすがに無理がありましたか…」 自分の部屋という安全圏に入った途端…糸が切れたように力が抜けた。 もう…仮面をはずすとかそういうレベルの話じゃない… まりや従姉さんはベッドに倒れこんだ千早に紅茶を入れてくれ。 史は手元にお菓子…史の好物のビスケットサンドアイス…を用意してくれた。 「そんなに疲れてるのに、華道部室に行ったのはどういう事?」 まりや従姉さんは怪訝そうに聞いてくる。 確かに、ああいう特殊な場所に、まりや従姉さんの確認もなしに行ったのは不可解なのかもしれない。 「松平瞳子さんに、華道部の体験入部に誘われたんだ…さっきも言ったように避難所も兼ねて…」 「あの縦ロールに?」 まりや従姉さんが意外な表情をする。 『あの縦ロール』って…たしかに髪型が特徴的ではあったけど…彼女に何かあるんだろうか? 「松平瞳子ちゃんは、 「 「史ちゃん、あんなのをご令嬢だなんて言うことはないわよ」 なんかまりや従姉さん、 あと、話が脱線してる。 「僕は…不都合がなければ華道部に入部しようと考えてる」 それを聞いて、まりや従姉さんはいぶかしむような視線を向けてきて。 史も困惑したような表情を浮かべた。 無理もない、御門千早本人にも、理解できていない心境の変化なのだから。 「誤解を恐れずに言うなら…」 まりや従姉さんの視線に言葉に詰まったのは…自分でも…その質問への答えを持っていないから…かもしれない。 まだ一回目だから、自分でも修身室にいた時の心境をうまく説明できないけれど… 「華道に関わっている間は、自分を偽る必要がないんだ」 その言葉はたぶん間違っていない。 けれど千早の深層を表現したものでもない。 「千早さまは華道も達人です…正体を隠すためのカモフラージュとしては申し分ないかと…」 華道と言うと女性的なイメージがつきまとう…そのことに銀髪同様辟易を感じていたものだけど…今は本来の姿とは違った演出として役に立ちそうだ。 「なるほど…実に大胆かつ合理的ね…でもそれは、『白銀公』の完成度を更に高めてしまう事になるわ。 『和洋折衷の超絶お嬢さま』…ってね」 うぅ…確かに。 既に おそらく、華道部に体験入部した事も明日の午前中には知れ渡っているだろう。 「こうなった以上、 まりや従姉さんは少し考えた後。 「あなたが千早ちゃんの侍女と言う事も含めて、『白銀公』の事を聞かれたら性別以外のことを当たり障りのない程度に教えなさい」 その言葉に驚いた。 「千早さまのことを、可能な限り秘密にするというのは久保栞さまとまりやお姉さまではありませんか?」 史も驚いているらしい。 「中途半端な秘匿はあらぬ疑いを生み出すわ。 このままじゃ痛くもない腹を探られる事になる。 情報開示を渋ったあげく、まかり間違って正体を知られるよりマシよ」 なんだか、そういう経験があるような言い方だ。 「史…ところで…このビスケットサンドアイスをどこで購入したの?」 史が差し出してくれた史の好物である見慣れぬお菓子をみて、史の荷物の中に入っていなかった事を思い出す。 「今日の授業終了後に、千早さまが修身室に行かれた事をお聞きしまして… そこに史が参加するのは無粋と判断し、必要な買い物ついでに買って来ました」 史はやはりこちらに気を遣ってくれている、千早の元に駆けつけたい気持ちも抑えて別の職務を全うしてくれていたなんて。 「雨が降っているのにやるわねぇ…」 「いいえ、雨は降ってい……」 突然、史が不自然に言葉を切った。 「どうしたの?史」 「いいえ、史の見間違いだと思うのですが…雨が降っているのに…リリアンの寮の脇の茂みに這っていた不審な女性を見たような気がするのです…」 「雨が降っているのに隠れんぼだなんて…見間違いでしょうね」 何かの間違いだと判断する…でもまりや従姉さんは違った。 「リリアンには幽霊騒ぎとか結構あるのよ。史ちゃん。その女の詳しい外見を聞かせてもらえるかしら?」 「史よりも小柄で細くて…髪が長い人でした… 「身長以外は思いっきり幽霊っぽい外見じゃない」 まりや従姉さん…それは紅薔薇さまに失礼だ… そんなまりや従姉さんにあきれていると、ノックもなしにいきなりドアをガチャガチャ鳴らす音がして… 「 そんな声が聞こえて身構える。 千早の性別詐称を知る3人だけの、貴重な羽を伸ばす時間を邪魔されないように。 用心のためドアには鍵をかけておいて正解だったらしい。 ただ…その声の『男の人』が御門千早を指していて…その人が千早の性別に疑問を抱いていなければ…だけど。 まりや従姉さんは千早と史に目線で警戒を促すと、扉の前で 「ノックぐらいしなさい、マナー違反もはなはだしいわよ」 まりや従姉さんには珍しく、非難の口調を隠そうとせずにまりや従姉さんは声をかけた。 「す…すみません。でも…取次ぎが・・・」 そんな、 やっぱり…ばれてしまったのか? まりや従姉さんは扉を開け、強引に 「これを飲みなさい」 …自分が飲みかけていた紅茶を強制的に勧めた。 まりや従姉さんが自分で淹れたその紅茶は冷めていたけれど… 「ゆっくり話しなさい。何があったの?」 そのまりや従姉さんの言葉に、 落ち着かせるための行為だったという事に気付く。 その、 「ま…まりやお姉さま、見知らぬ方がただならぬ様子で しかし、皆瀬初音さんは妃宮千早…その場にいる『男の人』に見向きもせずに別の事を伝えてくる。 どうやら、初音さんの言う『男の人』は千早ではないらしい。 「見知らぬ方?上級生…じゃなさそうね…名前は?」 「それが、名前も名乗らなくて…自分が来たことも 名乗りもせず…しかも来訪を秘密にするよう要求する、女子寮を訪れる男…。 普通じゃない、最大限の警戒を要する手合いだ。 …人の事を言えた義理じゃないけれど… 「白薔薇さまのことを知っているとなるとリリアン関係者…?しかし万が一の事もあるわね…」 万が一…つまりはよからぬ事をたくらんでいる不審者…。 「その不届き者はどうしてるの?」 「玄関前で、白薔薇さまの返事を待つと言っています…ですが…」 玄関前で待つと言う事は…一応…最低限の礼儀はわきまえていると言う事か? 「栞の帰りは遅いわ。あたしが寮官代理として応対する」 まりや従姉さんは部屋を出ようとする。 「私も参りましょう…『万が一』の事もありますし」 男として…まりや従姉さんだけを危険にさらすわけには行かない。 それに、荒事の対処には多少の心得がある。 「…そうね、史は寮生全員を集めて部屋に待機よ。もし大声が聞こえたら、鍵をかけて閉じこもって、何があっても決して出ないで」 それは…いわゆる最悪の事態…寮生をあずかる寮官代理としての… 「そ…それは…どうい…」 「だまれ。わからない事は考えるな。できることだけをやれ」 混乱する皆瀬初音さんに皆まで言わせず…厳しい口調でそう言い放つ… 「まりやお姉さま。千早さま。こちらはお任せを」 史も伊達に侍女をやっていない、『万が一』の場合の心得はある。 混乱することなく対処できるたおいう点では白薔薇さま以上に頼もしい。 その言葉に、初音さんを史に任せて。まりや従姉さんに従い部屋を出た。 あとがき 漫画版おとボク2、第二巻冒頭では史は緊急時にも取り乱さないハイスペック侍女ぶりを見せ付けています。 |