最上級生の事情

「疲れているところ申し訳ありません…薫子ちゃん、千早ちゃんのお二人に相談したい事があります。
 …ですが、疲れているのなら、明日にしようと思います」

急遽、寮に住むことになった柏木優雨ちゃんへが千早の部屋で眠りにつき、ひと段落着いたところで発せられた
そんな久保栞さんの言葉から…

「あたしは大丈夫だけど、千早さんは?」
「私も大丈夫です、今日中にできる事は済ませておきたいです」
「あたしもいけるわよ」
「私もよろしいですか?」

まりや従姉さん・周防院奏さんも加わって、久保栞さんの部屋で話をする事になった。


「失礼します」
久保栞さんのような人…つまり祈る立場の人…の部屋に入るという経験は、今までなかった特殊な物だ。
そんな部屋の第一印象は…本、おそらく宗教関連書籍…が多くみられるというものだった。
それ以外は、つくりはとても簡素で、部屋の主の品の良さがうかがえる。

全員が思い思いの場所に座り、久保栞さんが話し始める。

「まず。柏木優雨ちゃんのことにですが…私が不在の寮でよく対応してくれました」
「あれぐらいは当然の事よ」
再び見る事になった、まりや従姉さんと久保栞さんの信頼関係、奏さんの様子を見るに、いつもの事のようだ。

「そして、千早ちゃんも…あなたがいなければあそこまでスムーズに優雨ちゃんを迎え入れられなかったでしょう…ふふ…『天使さま』」
「『聖女さま』としては格付けで下に置かれて不満ですか?」
久保栞さんの冗談に、冗談で返してみる。

「やっぱり千早ちゃんは私のお姉さま…佐藤聖さまに似てます…」
そんな風に笑う栞さんは、千早から見ても『聖女さま』に見えた。
先程まで柏木優さんがこの人とやけに打ち解けていたのも、この人から感じられる神々しい白さの影響だろう。


まりや従姉さんさんが、紅茶の準備を整えるのを横目に見ながら…

「まず…今日の放課後に私が十条紫苑さまに相談された事から話しましょう」
そんな事を言って、話題を変えた。

「修身室で、紫苑さまが千早さんに失言をなさり…いたたまれなくなって修身室を飛び出した紫苑さまは薫子ちゃん達に連れられて礼拝堂に来たのです」
それじゃあ、紫苑先輩はあの後薫子さんに会ったのか…。

「そして、お御堂にいた私に懺悔を乞いました」
懺悔だなんて…そんな大げさな…。
一つ上の学年の人から…しかもあの紫苑先輩から頼まれごとをするだけでもすごいけど。
そんな宗教的な要素の絡む事を頼まれるなんて、やっぱり栞さんはただ者ではなかったらしい。

「悪意のこもった誹謗中傷をされたわけではありませんし…謝る必要すらありませんよ」
確かに修身室の紫苑さんのあまりに特異な…それでいてこちら心を見透かしたような言葉に動揺したものの…直接的な被害があったわけでもなく…、一週間もすれば忘れてしまえるような瑣末事のはずだ。

「神経質ではありませんか?…紫苑さまも、それを私に伝える栞さまもです」
口にしてしまって気付いた、まりや従姉さんがこちらに注意の視線を向けている。
まずい、非難の口調が混じっていたかもしれない…
おそらく、栞さんは自分の責務を忠実にこなしているだけなのだろう。それを神経質などと…言うべきではなかった。

「神経質…そうですね、私は…そしてこのリリアンの全生徒は十条紫苑さまに対しては神経質にならざるを得ないのです」
しかし、栞さんはそんな千早の失言も気にすることなく、こちらに配慮して言葉を選んでくれていた。

「留年しているから…ですね」
それに合わせて、千早も理解の意を示す事ができた。

「ええっ!?」
薫子さんはその事実を知らなかったのか、思わず声を上げる。

「薫子ちゃん…話の途中ですよ」
「あ…ごめんなさい」
一見すると『しつこい』と感じてしまうような周防院奏さんの注意も、薫子さんは真摯に受け止めている。
やはりこの2人は相性がいい。見かけは姉妹なんてもっての他だと思わされるけど…


そんな姉妹の様子を横目に見ながら、久保栞さんは何かを決心したように…

「私達…山百合会幹部は、前の紅薔薇さま、水野蓉子さまから十条紫苑さまの力になるよう頼まれました」
そんな、重大な事を言ってきた。


「えっと…水野蓉子さん…いや水野蓉子さまって人は…久保栞さまのお姉さま…?」
ところが、薫子さんだけ意味がわかっていないらしかった。


「栞。あまり、薫子ちゃんを困らせてはいけないわ」
「あ…ごめんなさい。水野蓉子さまについての説明をまだしていませんでしたね」
山百合会に所属している久保栞さんにとっては、山百合会幹部の姉妹関係は当たり前のように把握しているはずだけれど、薫子さんにとっては未知の内容のはずだ。
「いいえ…私のお姉さまの名前は佐藤聖。
 ですが…水野蓉子さまは私にとっても…いえ私達山百合会幹部全員のお姉さまのような方でした…」

情報の格差に気付けなかった事を恥じながら、久保栞さんは説明する。
そんな栞さんは、前に卒業した先輩を懐かしんでいるみたいだった。
栞さんをして、こんな表情をさせるなんて。きっとしっかりした人だったんだろうな。

「山百合会幹部は現在六人。うち薔薇さまの三人は小笠原祥子さんと支倉令さんと私…そして3人の私達の妹達で構成されています」
「福沢祐己ちゃん・島津由乃ちゃん・藤堂志摩子ちゃんの三人よ…」
3人とも、まりや従姉さんにとっての上岡由佳里さん、周防院奏さんにとっての七々原薫子さんのような姉妹を持っているらしい。
なんだか所帯じみてるな。

「じゃあ…あの人には…十条紫苑さんには妹は…いないの…?」
七々原薫子さんが何かを思い立ったのか…そんな声を上げる

「はい、いません」
栞さんが薫子さんの考えを肯定する。


「そして、あの方には…同じ学年同じクラスに所属している人はいても、『同学年のクラスメイト』はいないのです」
腫れ物に触るように対処してくる同じ教室の生徒達。
それは、向けられる感情の種類や内情こそ違うものの、かつて千早が嫌というほど味わってきた疎外感と似ていて…。

「そんな…」
「それは…厳しいですね…」
七々原薫子・妃宮千早、下級生2人は、同じような反応を返していたらしい。


「そう、薫子ちゃんも、千早ちゃんもその経験があるのですね」
「えっ…」
「なっ…」
そんな久保栞さまの言葉があまりに的確だったから、つい声を上げてしまった。
心を読まれたのかと思った…。
そしてそれは、薫子さんも同じらしい。

「こういうように…人の内面を見透かした上の…何気ない言葉は、思いもよらない反響を呼ぶものです…
紫苑さまが心配していらっしゃるのは、リリアン高等部に入りたての子に不用意な発言をしてしまったことによるものです」
その言葉に思い知らされる。

『茶道と言うと、格式ばった硬い印象を持たれがちですが、本来はくつろぐための芸道なのです』


あの十条紫苑さんは…くつろいだ上で…

『二人とも、不器用なところがあります。
心根が…素直で純粋過ぎるが故に…情熱家で…持て余してしまって…
身近な人を愛しているから…変わり果ててしまった』

あんな事を言ったのか!?
なんて…得体の知れない…。

「それに、十条紫苑さまは、あのように近寄り難い雰囲気を持っています。だからあの方に話しかけられる人は…ほとんどいないのです」
なるほど、上級生の立場もあって、他の生徒が避けるわけだ。


「じゃあどうして、あの人の妹になってあげる人はいないの?」
薫子さんはそんな事を言い出す。だけど、それは…あまりにも的外れな発言すぎて…


「駄目ですよ薫子さん、あの人が妹がいないのは自分で決めたこと…いわば自己責任です」
今日、瞳子さんから聞いた紫苑さまの事情を振り返る…3年もリリアンにいれば妹を作る機会はいくらでもあったはずだ。
それをしなかったのには理由があるのかもしれない、けれどそれはあの人が決めたことのはずだ。

「千早!『自己責任』っていうのは、自分の役割を果たさずにに被害者になすりつけて逃げる口実だよ!」
いきなり薫子さんはこちらに向かって声を荒げてきた。

突然の声に…その言葉は的外れだけれども…自分の浅ましさを浮き彫りにするのに十分すぎて…あっけにとられてしまった。


「やめなさい薫子ちゃん。多分、千早ちゃんの言っている事は正しい」
妹の激しさに戸惑いの表情を隠せていないけれど、奏さんが注意なさる。


「でも…」
「薫子ちゃんはあの方の妹になる覚悟がありますか?」
「っ!」
確かに…あの人の妹をやるというのは相当の覚悟が要るはずだ。
今の三年生のうちにすらできなかったのだ、今の薫子さんにあの人の妹が務まるとは思えない。

「少なくとも、奏ちゃんの妹は務まっていますね」
「務まりすぎててため息が出るわ、コレが姉妹一日目だなんて言ったら祥子に恨まれる」
奏さんに叱られる薫子さんに、栞さんがフォローを入れて…まりや従姉さんが正直な感想を漏らす。
そんな様子に…一見アンバランスなような寮生の構成は、絶妙にバランスが取れているのだと思い知る。

「あの方の妹になってあげる…かあ…その発想はなかったなあ…」
「薫子ちゃんの提案はリリアンのしがらみに捕われない貴重な意見ですが、不可能への挑戦でもあるのです」
2人とも、無責任…とも的外れとも言わなかった。

「少し、一呼吸置きましょう」
薫子さんと奏さんの姉妹の雰囲気が少し険しいものになったのを察してか、久保栞さんがそんな事を言う。
すると周防院奏さんは立ち上がり、用意していたティーセット一式を使って飲み物を用意し始めた。

「紫苑さまが告白室にて私と話した内容について話します。お茶の香りを楽しみながら聞いていてください」
本来、告白室の会話は滅多な事がなければ秘匿するもののはずだ。
それを話すのに備えて、上級生2人はあらかじめお茶の準備をしていたらしい。
きっと、あのお茶の中身は、まりや従姉さんが初日の夜に妃宮千早の部屋に用意していたハーブティーやアロマオイルと同様の、心を落ち着ける効果のあるものなのだろう。

本当に…この上級生2人には敵いそうにない。
そして、この気遣いが本当に心地よいと感じてしまう自分に戸惑いを隠せそうにない。




あとがき

…千早と薫子のいがみ合い第一ラウンド。
ゲーム説明では
『互いに影響し合い、反目しながらも、千早と薫子は奇妙な友情で結ばれていく。』

…ってなってるのに、本編では全く反目していないのです。
いや…一応薫子は千早に対して嫌悪を抱いているものの、それよりもはるかに好意の方が勝っているので…

「…いわば自己責任です」
「千早さん!『自己責任』っていうのは、自分の役割を果たさずにに被害者になすりつけて逃げる口実だよ!」



こういう風に千早の賢しさと、薫子の素直さが対立する場面が
修羅場がもっとあってもよかったと思うのです。

で…バッドエンドは千早退学…はさすがにやりすぎか…。

でも、うぃらあくるさんの漫画版では千早の弱さが程よく描かれていて個人的には本編よりもお気に入りだったりします。

自分の趣味とはいえ、御門まりやが神近香織里さんばりに『匂い』に関して熟達しています、
一応本編でもジャスミンティー・ハーブティーを使用する描写がありましたが、アロマオイルランプはアレンジです。


ブラウザの「戻る」でお戻りください