「おはよ、千早ちゃん」 「おはようございます。千早さま」 朝の目覚めに見たのは、見知った二つの顔だった。 「おはよ…もう朝か」 半覚醒の意識の中、柔らかすぎるベッドと寝巻きに、リリアン学園に通う初日の朝なのだと認識する。 これからリリアン女学園の生徒として通うため…女装をしなければならない異常事態を思い知らされ…。 「はぁ…」 …落ち込まずにいられなかった。 「千早…気持ちはわからなくもないけどね。ヘコんでる貴方を見るとあたしまで気が滅入るわよ。 そろそろ気持ちを切り替えられない?」 「…善処するよ…」 起き抜けで気力がない…たとえ万全の状態でもまりや従姉さんにかなうはずもない。 「もしかして、眠れなかった?」 「ううん…なぜかいつもより深く眠れたよ」 異常すぎる状況と、快適すぎる寝具。 その二つは…昨晩に限れば…不思議なことに快眠をもたらしてくれた。 「そう…首尾は上々ってとこね…」 そんな事を言ってまりや従姉さんは部屋の隅に置いていた明かりを回収して… ん?あの明かり…ただの就寝用ライトに見えるけど…まさか… 「パチュリー・マジョラム・ベルガモット…2:1:1の配合で安眠効果よ」 「アロマオイル・ランプだったのですね」 分解すると、中には受け皿、ランプの明かりの熱を伝わりアロマオイルが蒸発させることでお香を焚くランプだった。 部屋自体の香りだと思っていたけれど…こちらに気付かれないでお香を設置してくれていた…さすがは『 こちらの事情を汲んでくれる従姉の存在のありがたさに改めて感無量で… 「ありがとう。まりや従姉さん」 そう…お礼を言うのだけれど…・ 「べっ…別に千早ちゃんのためじゃないんだからねっ」 「………………」 「………………」 うわぁ…狙ってわざとらしく照れた感じの声を出してるよこの人…。 ソレはツンなんとかのテンプレートではなかっただろうか? 「何でそこで沈黙するんじゃ〜っ!」 怒り出したまりや従姉さんを横目に、史が鏡と化粧用具を用意してくれて、初日の身だしなみが始まった。 「ちょっと、それはキツすぎない?」 「千早様は少々目が細いですから、もう少し強調したほうがよろしいかと」 目の前で史がビューラーとマスカラを交互に使い、まつげを根元から上に持ち上げていく。 その手際も、鏡に映った自分の顔もは男の千早からみれば完璧という感想しか思い浮かばないぐらい見事なものだったけれど、お洒落にはうるさいまりや従姉さんには不満があるらしい。 「うーん、あたしはさっきの自然体のほうが好みなんだけど…唇もそれ以上の処置をするとなると華美な印象を与えてしまいかねないわよ」 「代わりに肌の白さを強調するため、頬紅は軽く刷く程度で…」 2人でそろってこちらの顔の様子を見ながらメイク談義をされるととても微妙な気分になってしまう。 「ああ!?これなら理想的!」 すべてが終わると、まりや従姉さんはとても満足した様子で感心したようにこちらを見てきた。 「やっぱり素材が違うと処方も違うのね。こんな特殊な素材を使いこなす史もすばらしいわ…千早ちゃんのモノじゃなかったら助手に欲しいところね」 『こんな特殊な素材』って、まりや従姉さんにとっては僕も史もモノ扱いですか!? 「まりやお姉さま、その言い方はとても 「それと…明日からも千早ちゃんへのメイクの面倒は見に来るわよ、デザイナーとしてそのメイクは2人の秘め事にしておくにはもったいないからね」 「あえてお下劣な印象を与える単語を使いたがるのはまりやお姉さまの悪い癖です」 今日ほど史の正直な指摘がありがたいと思った日は…多分…ない。 リリアンの寮の朝は早い。 起床時間が決められているわけではないけど…リリアンの生徒会長の一人『 「ふあ…、相変わらず早いわね、しおり〜」 「ごきげんよう。御門さん、千早ちゃん、史ちゃん」 「ごきげんよう…」 「史ちゃん、千早ちゃん。そちらにお座り下さい」 史に手伝ってもらいながら身だしなみを整え、食堂に行くと白薔薇さま・上岡由佳里さま・皆瀬初音さんが食事の準備をしたり談笑したりしていた。 白薔薇さまは太陽も昇らない朝なのに他の少女達と違って眠気のかけらも見せてない。 「ところで…七々原薫子ちゃんは?」 「そういえば、朝が弱いって言ってたのですよ、起こして来ます」 「ちょっと奏ちゃん、姉が妹を起こしに行くのは…まずいんじゃない?」 同級生の上岡由佳里さまが言う。 確かに、上級生が下級生を起こすなんて、明らかに異常だけど… 「 そう言って、白菊の君こと周防院奏さまは薫子さんの部屋のほうへ歩いていった。 「由佳里?ひょっとしてこのあたしに起こして欲しいのかな?」 「全力で遠慮させていただきますのです!」 「へぇ…いい度胸ねぇ…」 そりゃ、まりや従姉さんだったらどんな起こし方をするか、わかったものじゃないし。 …今やってる由佳里さんへのヘッドロックを見れば容易に想像できる。 あと、基本的に姉が決めるということも…。 「二年前に、私が御門まりやさんを起こしたことが思い出されます」 「懐かしいわね」 そんな事を話していると、寝起きの表情丸出しの七々原薫子さんと、笑いをこらえながら周防院奏さまが姿を現した。 「ありゃ致命的に朝に弱いわねぇ…」 「別に私の登校時間に合わせなければならない理由なんてありませんし、薫子ちゃんだけ遅れて登校します?」 「あたしだけ仲間はずれなんて〜」 ダメだ…薫子さん、意識が覚醒していない。 「あたし達としては無理やり朝につき合わせる理由もないのよ」 「一人だけというのは…余程の必要に迫られない限りはダメです。これからは私が起こします」 そんな周防院奏さまの返答を聞いて、やっぱり白薔薇さまは慕われているのだと再認識する。 そして、七々原薫子さんに対する責任も。 「え?奏先輩に起こしてもらうなんて…」 「そういう事はその頭を解凍してから言いなさい」 「呼び方は、『お姉さま』です」 ああ…薫子さん、最上級生二人の注意すら頭に入ってない。 「大丈夫ですか?私でよければ起こしましょうか?」 見るに見かねて、隣に座った薫子さんにそんな事を聞いてみると。 「はぇっ!?だ…ダメだよ…」 予想に反して、はっきりと反応が返ってきた。 「…あたし達より効き目があるわねぇ…。怪しいなあ…」 怪しいなんて…一体何を考えてるんだまりや従姉さんは? 「まあ、会ったばかりの人間には、あまり自分の生活じみたところを見られたくないという気持ちはありますからね」 「そ…そうだよ」 「ふーん、そういう事にしときましょ」 まりや従姉さんの言い方はなんだか含みのある。 「さて、そろそろいただきましょう。初日で遅刻するなどという事は笑い話の中だけにしなければなりませんから」 白薔薇さまが穏やかに全員に声をかけて手を合わせ、全員がそれにならい… 「主よ、今より我らがこの糧を得る事を感謝させたまえ、アーメン」 白薔薇さまの声を全員が復唱し、食事が始まった。 あとがき 冒頭のアロマランプはとある旅館に宿泊した時の体験によるものです。 本来ならおとボク2の神近香織理さんの領分なのですが、登場予定が全くないので仕方なく御門まりやの領分にしておきました。 周防院奏と七々原薫子も姉妹の形を確立しつつあります。 |