寮の夕方



妹の由佳里と一緒に陸上部を終えて寮にたどり着くと、放課後の活動がない生徒達の手によって夕食の準備が進められていた。


その中に先日編入し、リリアンの制服を着ることになった従姉妹…宮小路瑞穂の姿を見つけて不意に笑いがこみ上げてくる。


だって、あまりにも完璧にお嬢さましていたから。


女性なら誰もが羨むであろう質感の整った髪に端正な顔立ち。
気を配りながら指図してゆく優雅なしぐさと、一ヶ月足らずでリリアンになじんだ順応能力。


寮の下級生たちはまさか、このお姉さま然としたリリアンの生徒が男の子だなんて思いはしないだろう。



「まりやお姉さま、ずいぶんとご機嫌ですね」


一緒に陸上部を共にした我が妹の上岡由佳里も、瑞穂ちゃんの正体に気付いたそぶりはない。

むしろ憧れと崇拝の視線を向けていて、姉妹の契りを結んだお姉さまとしては妬いてしまいそうになるぐらいだ。



「ええ、瑞穂ちゃんもずいぶん慣れてきたなって」

この寮の三年生が久保栞・御門まりや・宮小路瑞穂の三人で、宮小路瑞穂の行動に水を差す者がいないのは大きかった。

この状況なら、よほどのヘマをしない限り瑞穂ちゃんの正体がばれる事はないだろう。




今日、支倉令が瑞穂ちゃんの更衣室を調べに来たのに真実を知らせた事への対策もしておかなければいけない。

黄薔薇さまは例の計画に協力してもらわなければならないから。




「食器はそろいましたね。ではお茶を淹れましょう」

「瑞穂さまはもう着席して下さい。お茶を淹れるのは一年生の役目ですよ」

「じゃあ、お願いするわ」


一年生の周坊院奏ちゃんとそんなやり取りをして着席し、栞に借りた本を開けるその姿を見てると、御門まりやでさえこの人が女性なんじゃないかって思ってしまった。



よし、そろそろ潮時だろう。
あの事を話してみるか。


「ねえ瑞穂ちゃん、エルダースールって知ってる?」

「何ですかそれは?スールなら知っているんですが」

本から視線を離し、隣に座ったまりやに視線を向けながら瑞穂ちゃんは興味を示してくる。


「エルダースールというのはかつてリリアンにあった制度のことよ。
 全校生徒が投票する選挙によって選ばれるて、最も人気のある三年生を選出するの。
 そうやって選ばれた人は三年生や薔薇さまを含む全校生徒から『お姉さま』と呼ばれるの」


「…薔薇さまからも…それはすごい事ね」

どうやら、リリアンにおいて「お姉さま」と呼ぶ事の意味を理解できているみたいだ。


「でも、まりやお姉さま。それは過去の話では。
 去年、エルダースールがいたなんて事は聞いた事がありません」

「いいえ、正確にはいたのよ。
 非公認だったけどエルダースールの伝統は続いていて、規模が小さかったけど選挙も行われていた。
 でも去年ややこしい事になっちゃってエルダースールは実質不在になってしまったの。
 で、それを嘆いた水野蓉子さまが『こんな事になるぐらいなら来年度から公認にしましょう』って言い出して、今年からは公認の選挙が行われるらしいの。
 全校生徒が参加する一大イベントになるそうよ」



「本当なんですか御門さま!?」

刺激の少ないリリアンにこういう話題は反響が大きい。
話を聞きつけて下級生達が興奮して注目してきた。


「水野蓉子さまというのは、今の紅薔薇さまのお姉さまの事ですね。
 だとすると、山百合会が選挙を行うんですか?」

「そう、それに実質薔薇さまはエルダースールとの兼任はできないようにするらしいから。
 みんなもそろそろ誰に投票するか考えておかないと迷うわよ。
 ちなみに私のチョイスは瑞穂ちゃんかな」



寮生の注目が一斉に隣の従姉妹に向けられる。

「え…私?」


「いいかもしれません…」

「確かに、瑞穂さまならお姉さまと呼びたいですわ」

「私は瑞穂さまが一年早くリリアンに来ていれば、妹になれたかもしれないと残念でしたけど…そんな風にお姉さまとお呼びできるなら…」


とりあえずは成功。
これで寮生はみんな味方だ。


「でも私は…そんな事には向いていないと…思う…わ」


「奥ゆかしいのも素敵ですわね」
「ああいうのを慎み深いと言うのでしょう」


…憧れとは理解と最もかけ離れた感情っていうけど、納得。
ここまで人気が出るなんて…これはちょっとやりすぎたかな。



「お待たせしました。皆さん」

「お帰りなさいませ、白薔薇さま」
「お帰りなさい」


食堂にそんな声と共に、残る一人の三年生が登場して場を収めてくれる。



…久保栞も味方に引き入れておこうか?
いや、白薔薇さまの栞を懐柔するのは見返りが大きいけど危険だ。
機密事項のエルダースール選挙の事をフライングして話しただけでも機嫌を損ねたかもしれない、少し大人しくしてるのが賢明だろう。



「お帰り、栞。夕食の準備はもうあなたの着席を待つばかりよ」

「いつもすみませんね。わざわざ私を待っていてくださるなんて」

「気にしないで下さい。栞さんがいないとみなさんも食べる気になれませんから」


栞が着席すると、騒がしかった食堂が静寂に包まれる。



まるで全く違う場所に移動したような雰囲気の中。

「主よ、今より我らがこの糧を得る事を感謝させたまえ、アーメン」

いつも通り白薔薇さまの祈りを全員が復唱し、夕食が始まった。






あとがき

議論もいいけどカレーもね…
とばかりに寮の夕方の情景を書いてみました。

まりや視点は書きやすいのだけど、寮の生徒の人数は考えずにやっているので描写が不足してしまっている気がします。

三年生は三人だけという設定ですが、二年生以下は一体どれぐらいなんだろうか…
少なくとも六人はいないといけないことになるでしょうか…


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