激変する認識



「令、あなた一体何しに来たのかしら?」


体育の時間が終わって着替えを手早くすませ、瑞穂さんがいつも一人で着替えている部屋に行くといつも通り御門まりやさんが見張っていた。


紫苑さまと違って気安く話せる間柄だけど、彼女も一筋縄でいかない…疑いの表情丸出しでこちらを見てきている。


「瑞穂さんに今すぐ話したいことがあるの。通していただけるかしら?」


これは明らかな嘘である。

支倉令が体育の授業の直後の休み時間、しかも着替え終わった後にここに来る事なんてありえない。

同じクラスでしかも席が隣の令は五分も待てば話ができるのだ。
令がわざわざ無駄足を踏んでまで着替えている部屋に足を運ぶ必要なんてどこにもないのである。

つまり『今すぐ』という言葉はあからさまに『着替えている姿を見せろ』という事を意味している。


「ふん…さすがは黄薔薇さま、うすうす気付いていたか。
 でも推測もできないくせに瑞穂ちゃんを調べようというのは間違いね。
 真相に近づいていたなら事なかれ主義のあなたが解明に乗り出してくるはずがない」


口は軽い・素行が悪い・紅薔薇さまと仲が悪い…など多くの欠点を抱えながらもこの同級生に人気があるのは真面目な事では間違った事は言わない事も原因みたい。

事なかれ主義という主張は決して間違いではないことが令を少しいらだたせる。



「本当は瑞穂さんの背中に傷なんてついてないと思う。
 たとえあったとしても着替えを一緒に行わない理由にはならない…
 何か後ろ暗い理由があって、隠してる」


それが他人事なら、こうやって足を運ぶ事もなかっただろう。
しかし…




「私は不安におびえてる瑞穂さんの力になりたい。
 紫苑さまを元気にしてくれたり由乃の事で悩んでいた私を励ましてくれたり…
 あの人に構わずにはいられない」




他人事ではない。隣の良き友人だと思っているから…







「はぁ…止めても無駄ね。いいわ、そんなに知りたいのなら教えてあげる」



そして、御門まりやさんは短い言葉であってはならない事を告げてきた。














天地が逆転したような感じとは、今の状態の事を言うんじゃないだろうか。

授業が全く頭に入らない。

何を言われても上の空…誰と何を話したのかもわからず支倉令の会話がまるで自分の行為でないみたいだ。






「瑞穂ちゃんは性別が違うの、男の子が女装しているのよ」




嘘だ…嘘だと思いたかった。

でも…変だと思っていた瑞穂さんの特徴を当てはめてみると全ての事につじつまがあってしまう。



更衣室が別なのも…

編入する時に異常な程おびえていたのも…

言葉遣いに乱れが混じるのも…

紫苑さまが鳥居江利子さまみたいに笑っていたのも…





倒れこんでしまいそうになるのを何とかをしのいでいると気がつけば放課後になっていた。

誰にも相談できることじゃない。
そもそも誰かと会話する事さえ不可能だ。

帰って休もう…


でも。気がつけば目の前にお御堂が見える所に来てしまってあっけにとられた。

自分が何処にいるかもわからず、方向感覚がマヒするぐらい気が動転しているらしい。

そう思って足を別の所へ向けようとした時、相談できる人がいる事に気がついた。













「祥子さんを初め一部の人達が心配してましたよ。
 由乃さんにまたロザリオを返されたのではと言う人までいました」

聖書朗読などの部活に混じって妹の志摩子と仲むつまじくローマ信徒への手紙を読んでいた白薔薇さまは、令を見るとすぐに事情を察し告白室に招き入れてくれた。

こんな風にみんなの白薔薇さまを独占するのは申し訳ないけれど、そんな事を言っていられる心境じゃない。


「由乃の事とは全く関係ない…とんでもない事を知ってしまったの。
 栞にも言っていいかどうか…」

「賢明な判断です。あなたがそこまで悩むような事は軽々しく話すべきではありません。
 それに、私は志摩子の告白をあなた達に話した前科持ちですからね」

目の前の白薔薇さまはそう言って笑うけど、それが悩んだ末の決断だった事は令にもわかっている。

音の漏れない部屋に二人きりという状況と、栞の信心深さに影響されて心が和らぎ、少し話してみる気になった。



「もし…隣の…いえ身近な人が。決して許されない前科持ちだったらどうします?」


危ない危ない、「隣の」なんて言ったら瑞穂さんの事だってバレバレだ。


「主が私をお赦しになられたように、私も赦そうと努力します…
 それができなければ、赦せる強さを主に願います。
 …少なくとも、そうしたいと思います」


道を誤った人の言う事は重みがある。
おそらく、先程言ったどれも実践できなかった場合が栞さんにあるのだろう。



「私でよければ今日にでも瑞穂さんにお話しましょうか?」


やっぱり瑞穂さんの事だってばれた…。
まあ…仕方ないとは思うけど。

しかし今日にでもってどういう事だろう?


「まだ落ち着いていないのですね。
 瑞穂さんは寮に住んでいて、私の隣の部屋にいるのですよ」


頭を殴られたような衝撃に襲われた。

自分の考えの足りなさが恨めしい。
そうだ、瑞穂さんも寮に住んでいるんだった。

しかも…よりにもよって栞の隣だなんて、非常にまずい。


栞はしっかりしている間はものすごく頼りになる。
でも実は祥子に負けず劣らずの潔癖症。
男が隣の部屋に住んでいるなんて知ったらどうなるか想像するだに恐ろしい。

さらに内面はものすごく弱い、何かの拍子で信仰の仮面が破れたら…見ていて哀れなほど繊細な素の栞に戻ってしまう。
そうなった時の惨状は想像さえしかねる…。


「栞さん!瑞穂さんを絶対に部屋に入れたら駄目!
 何か少しでも怪しいそぶりを見せたら気をつけなさい!」

目の前の敬虔な聖女が心配になって、つい頭に浮かんだ事を口に出してしまった。



「入れるなも何も…すでに瑞穂さんは本を借りに私の部屋に入りましたよ。
 私の同意を求めた後でですが…」

そして、全く疑っていないのをいいことに女性の部屋に侵入していた女装男…。



「あいつ!」

「落ち着いてください…令さん。
 この前の宗教裁判ではありませんが…私はだれかを裁きたくありません。
 裁きと復讐は主のなされることですから。
 それとも瑞穂さんがリリアンでマリア様に恥じる事をしたのというのですか?」


確かに…何もしていない。
何もしていないけど…。


「あの人がリリアンにいる事自体がマリア様に恥ずべき事だとしたら…」

突然、栞さんがうつむいたのを見て、興奮してきつい事を言ってしまった事に気付いた。



「…私は似たような事を言われました事があります
 黄薔薇さまともあろうあなたが…その言葉を言ったのはとても悲しい事です」
「あ…」

そうだった、久保栞は支倉令や小笠原祥子の二人の薔薇さまと違って華やかに山百合会に迎え入れられたわけではなかった。



当時の佐藤聖さまはなかなか妹をお決めにならず栞さんと仲良くしていた。

でも、いくらリリアン学園が穢れなき園の乙女達といえど年頃の少女達である、嫉妬という感情と無縁ではいられない。


栞さんを妬んだ当時の一年生の間で

『祈る事しかできない、リリアンにいて欲しくない貧弱な孤児』

そんな陰口を耳にはさんだ事があった。

誰が悪いというわけでもないと思うし、栞さんにとっては何でもないことだったはずだけど…
栞さんの迷いの原因の一つにはなっただろう。




でも、今の言葉が間違っていたとは思えない。


「それでも…私は栞さんが心配なの」

「ありがとう。でも、今はあなたは他人の心配をしているときではないでしょう。
 他にもっと緊急と思われる心配事があるのでは?」

ああ…瑞穂さんの事に気が動転して全く由乃の事を忘れてた…。


「そうだった…明日に由乃を剣道部に入部させるんだった…
 また由乃にロザリオを返されたりしないようにしないと。
 瑞穂さんに振り回されて妹の事を忘れるのではお姉さま失格だった…」

そう、今の所は由乃の事に気を配らないと…。
編入生のことはさておき、落ち着いてから栞さんと共に解決するのが第一だった。


「それでいい…と言いたい所ですが一つ忠告しておきます。
 鳥居江利子さまの妹だったあなたには実感できないかもしれないけれど。
 妹は姉がしっかりしているよりも修羅場にいるほうが心躍るものなんです」

さらりと…いつもの穏やかな笑みを崩さず栞さんはそんな問題発言をなさった。
このシスターは穏やかならざる言葉をかけて反応を楽しむという癖があるんじゃないだろうか…。



「私を頼って下さったのは嬉しい。
 でも、次からは由乃ちゃんを頼ってあげてください。
 きっと由乃ちゃんのためになるでしょう」


清く正しく、とは正反対の事を言ってくる栞さん。
あるべき姿からかけ離れているけど、それでも型にはまった助言よりは重みがある。



「令さんが形式にこだわらず。
 過去の憂いを捨て。
 成すべき事を成し。
 力を得る事ができますように」



栞さんは祈る。
それが、告白室の相談の終わりを意味していた。


「ありがとう、近いうちきっと瑞穂さんの事について相談すると思う。そのときはまたよろしく…」



「お待ちしています。由乃ちゃんをお大事に」


祈って送り出してくれる栞さんに力をもらった気分になって、白薔薇と呼ばれるにふさわしいと心から思わされた。





あとがき

宮小路瑞穂の正体判明(ばればれ)の巻。

そして、困った時の白薔薇さま頼み…
やっぱり久保栞さま、カレンの属性が混じってしまってますね。
毒電波を吐く…とまでは行かないけど、黒いです…

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