雪解け


「瑞穂さんは綺麗な方ですし…立ち振舞いも美しいし・才色兼備・スポーツ万能・それでいて奥ゆかしい風情。
 …私も奏ちゃんの言ってた通り。頭をなでていただきたいぐらいですわ」

紫苑さんはいつも通り、困り果てるこちらを見て笑っている。

でも、今日の早朝はいつも通りですみそうになかった。



「紫苑さま、瑞穂さん。
 エトワールスール選出用投票用紙が選挙管理委員会から届けられましたわよ」

このように高根美智子さんが取り次いできたのは、今日がリリアンの高等部全員の参加する選挙の日だからである。


「私は瑞穂さんに投票させていただくわ」
「同議採決」

高根美智子さんにつづき、小鳥遊圭さんもそんな事を言ってきた。


「三年菊組みではほとんどの皆さんが瑞穂さんに投票なさるはずですわよ」

仮に紫苑さんの言う事が本音だったとしても、新参者の瑞穂に投票する理由がわからない。



「でも、私にはそんな資格は…」
「そういう奥ゆかしいところも素敵ですわ…」

瑞穂の意図に関わりなく事態がおかしな方向に進んでいる気がする。



「やっぱり面白い展開になりましたわね。まりやさんとも話していたのですけど」

「紫苑さん。あなたならお分かりになるでしょう?私にはエトワールの資格なんて…」

「まあともかく。決まる前にあれこれ悩んでも仕方のない事かと思いますわ。物事はえてして、なるようになるものです」


投票用紙には三年生に配られる物だけ自分の名前を書き込む欄がある。
第一次選考の段階で譲渡されるかららしいけど…複雑だ…。


「紫苑さん、私は紫苑さんに投票しようと思います。他に適任者が思いつかないので」

おだてあげたわけではなく、本心からの言葉だった。

紫苑さんは今まで見てきたリリアンの生徒の中で誰よりも落ち着いていて思慮深い。
大人びている事、薔薇さまでさえ遠慮する程だし。


「あ…そうね…少し、失礼しますわ」

紫苑さんは初めて見せる…曇った表情を浮かべて瑞穂の手を引いて教室を出る。
どうやら他の生徒達は何か事情を知っているらしく、だれも紫苑さんを止めなかった。









紫苑さんは誰もいない屋上にたどり着くと振り返って話し始めた。

「瑞穂さんはご存じなかったですわね。私は留年しているの。去年、病気で入院していて、出席日数が足りなくて…」

語る紫苑さんはつらそうだった。

そういえば、リリアンでは先輩に対して名前に『さま』を付けて呼び、同級生は『さん』付けである。
紫苑さんだけ、同じクラスの人達…黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)さえも『紫苑さま』と呼んでいた。

リリアン学園では上の学年に遠慮してしまうのだろう。



「そして、私は昨年度の非公認のエルダースールでした。
 けれど私は、皆さんがエルダーに推して下さったのに、すぐに病院に入ってしまって…結局、去年のエルダーの座を空席にしてしまったの」

だとする先代の紅薔薇さまがエルダースールを公認のものにしようとした理由はそれなのかもしれない。


「瑞穂さん、私は他人の雰囲気に聡いのもまた、病気のせいなの。
 入院していると、自分から何もできないから。自然、周りの空気だけに敏感になるのね」


支倉令さんを説得して島津由乃ちゃんを剣道部に入らせるように言ったり。
剣道場で由乃ちゃんの傍らで励ましていたのも、同じ立場の後輩を放っておけなかったからだったのか。



「受身にならなければならず、皆さんとずれた時間の中で。瑞穂さんとは対等なお友達として接する事ができて、嬉しかったのです。
 だから言えなかったの。もし言ったらもしかしたら瑞穂さんも…あ」

それ以上は聞きたくなかったから、人差し指を垂直に立てて紫苑さんの口をふさいでおいて言う事を言わせてもらった。


「あなたはリリアンで初めてできた友達で、私にとっての友達はそんな事で変わるわけはありません。
 だから…気にしないで下さい」

その言葉に偽りはない。

「紫苑さん」と呼ぶ事が浮いていると言う事もうすうす感じていた、その事を口にしなかったのはリリアンでできた初めての友達でいたかったから。


「ありがとう瑞穂さん。おかげでエルダースールの最後の役目を果たせそうです」

紫苑さんの目が潤んでいたのを無視して、親友の足音を後ろに聞きながら屋上を後にする。







「支倉令さんは私によく気を遣ってくれています。今もきっと皆さんをまとめてくれているでしょう」

紫苑さんに言われて初めて、三年菊組全員は紫苑さまを刺激しないように気を配っていた事に気がついた。

でも紫苑さま…リリアン生活できている瑞穂の女装さえ一目で見抜いてしまった…にはそれがわかってしまうのだろう。


「お気遣いなく。紫苑さんは大丈夫です…」

教室に戻ると、支倉令さんが迎えてきたのでそう瑞穂は切り出した。
クラスの大半がそれぞれの席で談笑しているように見えるけど、今は全員の注目がこっちに向いているのがわかってしまった。

令さんは紫苑さまに向き直るなり頭を下げてきた。

「紫苑さま。その…今まで申し訳ありませんでし…」

紫苑さんはいつものように笑うと屋上で瑞穂がしたように人差し指で令さんの口をふさいだ。

紫苑さまらしからぬその仕草にクラスの全員が驚いてこっちを見てくる…やっぱりさっきまでのは取り繕った芝居だったんですね。


「知っていましたよ黄薔薇さま。
 あなたは私の事を頼むと言った水野蓉子さんの遺言を忠実に守って…瑞穂さんに本当の事を話さないようにクラスの方々に口止めまでして下さったのですね。
 でもそんな事は今日まで…私は遠慮してもらう必要がなくなりましたもの」

『もう気遣いは無用です』と三年菊組に宣言した。



「わかりました。紫苑さま…エルダーのお姉さま」

紫苑さまはその名前で呼ばれるのが嬉しかったらしく、笑顔で答えて着席する。

そんな紫苑さんにクラスメイト達が去年のエルダースールの事について尋ねるのを見て、紫苑さんを取り巻いていた不自然な雰囲気が溶けたのが実感できた。







あとがき
リリアン女学園風、紫苑さまルートイベント達成。
書きたかった瑞穂さまをやっと書けました。


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