貴子さんの憂鬱


「はぁ…」

図書委員しか利用しない図書室の奥の部屋…図書準備室に祐巳を招き入れると、貴子さんはいつもの引きしまった表情を崩してため息をついた。


特徴的な豪奢な金髪には一房の乱れもなく、凛としたイメージのある貴子さんも、さっきの祥子さまの呼び出しにはに困惑していたみたい。

祥子さまを前にして平生を装っていたいられただけでも貴子さんはすごいと思う.



「場所を変えたのは、祐巳さんの立場上瞳子ちゃんに弱みを見せるわけには行かないのと
 先程の祥子さまについて聞きたい事があるからです。
 さて…祐巳さん。
 話の途中に祥子さまがどうすればエトワールになれるかわかっていませんでしたね」


図星をさしてくる前の祥子さまの妹に正直にうなずいておく。

学年が一つ下なのに祥子さまと同等、時によっては祥子さまに対してさえ高圧的な態度でいんぎん無礼な態度を取っていた貴子さんに見栄を張っても仕方がないのは嫌というほどわかっていた。



「簡単に説明すると薔薇さまは、飛びぬけて人気を集めた候補がいなかった場合にエトワールになれるようになっているのです」


それはつまり、薔薇さま達よりも票が多い人がいない場合。薔薇さまがエトワールを兼任すると言う事なのかな。


「具体的には、選考会にて票の譲渡が行われた段階で、70%の得票率を持った候補がいなければ紅薔薇さまも立候補が可能になります。
 そして、譲渡のシステムがあるとはいえ全体の七割の票を集めるのは簡単ではありません」

「でも、なんだか最近宮小路瑞穂さまの人気が上がってきているのだけど」

不正行為ギリギリのきわどい宣伝もしているのだけれど…。


「そのことに関しては私と瞳子ちゃんが対処します。
 この件に関して祐巳さんの出番は祥子さまをいつも通り支える事。
 それは妹にしかできない事をお忘れなく」


祐巳以上に祥子さまの扱いが上手そうな貴子さんに言われれるのは嬉しい。






「ところで、最近祥子さまに何かありましたか?
 明らかに先程の祥子さまはおかしい。
 あの方のわがままは今に始まった事ではありませんが…聞き違えたかと思いました。
 小笠原祥子さまがよりにもよってロザリオを返した私にあんな頼み事をする理由が考えられません」


さすがは貴子さん、最近の祥子さまは落ち着きがない事をすぐに見抜いてしまった。
あと、祥子さまをストレートにわがままと言い切る貴子さん…相変わらず。



「きっと選挙の事で神経質になっているんだと思う。選挙の事を頼んだのは水野蓉子さまだから」

祥子さまが唯一遠慮したお姉さまの頼みを聞くために、力を入れすぎているのだろう。
水野蓉子さまの親友の十条紫苑さまに対しても注意を払わなければいけないんだし。

その事を話すと、貴子さんは表情を難しくして考え込んだ。



「どうしたの?」



そして、ただならぬ事を言ってきた。



「…もしかするとあの方はもう手遅れかもしれません」



手遅れって…それは一体どういう事?



「祥子さまが水野蓉子さまから頼まれているなら間違いなく公正を期すはずです。
 それを曲げてまでエトワールスールになりたいと言い出すなんて事…ありえません。
 祥子さまは私達に何か他の重大な事を隠してます。
 水野蓉子さまの遺言以上に重要な何か…それを隠して私達にあんな頼みをするなんて…
 なんて恥知らず…しかしあの感じだとそんな事を言っている余裕もないの…?」


珍しく、端正な顔にいら立ちと不安を表に出して貴子さんは考え込んでいる。


「貴子さんは、祥子さまのエトワールになる事には賛成なの?」

「祥子さまがプライドを捨てて頼んできたのですし、あの方には申し訳のない事をしてしまいましたからできる限り力になります。
 でも私は誰がエトワールスールになろうと関心はありません。
 私が心配なのは祐巳さんの事です」



以前の祥子さまと貴子さんの関係を考えると、祐巳とは決して仲良くなれるはずがなかったけれど…貴子さんは自分が祥子さまにロザリオを返した経験が忘れられないらしい。



「何があってもロザリオを返さないでください…私は駄目でしたが…」



祥子さまが祐巳を妹にしようとした時に反対してきたのも
本来なら仲良しになれないはずの…後に妹になった祐巳の事を心配してくれているのも

ロザリオを返す経験を祐巳にさせたくないからだという事を再び思い出した。




「考えすぎだよ貴子さん、選挙が終われば元に戻るから」


「その希望的観測は外れますよ。選挙が終わればすぐに梅雨がやってきますから。
 祥子さまは梅雨になると桜の季節と同じぐらい不機嫌になります。
 去年は妹になったばかりの私に見栄を張ろうとして失敗していましたし…」


やっぱり貴子さんにはかなわないみたいだった。









久しぶりに他愛のない事も含めて貴子さんと話を楽しんだ後、貴子さんと一緒に図書準備室を出ると…問題の三年生の二人の姿が目に入ってびっくりした。


一人は厳島貴子さんのお姉さま…ロサ・カニーナの異名を持つ歌姫の蟹名静さま。
もう一人はさっきまで話題になっていた宮小路瑞穂さまだ。



蟹名さまは瑞穂さまに数冊の本をお渡しになりながら、瑞穂さまに何かを説明なさっている。


「次はこれの評価も頼めるかしら。
 この世界史の参考書は新たに貸し出せる物の中でも目玉になりそうないわく付きの物なの。
 だから詳しく感想を書いてもらえるとありがたいのだけれど」


「わかりました。私の知識の及ぶ限り力になりますわ」


このお二人は選挙の事で妹達が頭を悩ませているのもどこ吹く風みたい、別の事の関心事があるようだ。



「ありがとう、紫苑さまにもよろしく。例の件は選挙が終わればすぐに実行に移したいわ」

「気にしないで下さい。私の知識が役に立てるのなら喜んで力になりましょう」


こんな風に、このお二人は選挙の事がなければいいお姉さま方なんだけど…。



「あら、貴子に紅薔薇のつぼみとは…珍しい組み合わせね」

「お姉さまもお変わりのないようですね」

「ようやくリリアンにもなじめてきた所ですわ。紅薔薇のつぼみに貴子ちゃん」


下級生二人に話しかけてくる瑞穂さまは祥子さまにも劣らず綺麗でいらっしゃりながらも親しみやすく、人気が出るのもわかる。
一目ぼれした気が早い下級生が『妹にしてください』と玉砕覚悟でスールの申し込みをしたりしないか不安になる程である。

もし瑞穂さまが一年生からリリアンに通っていたら、妹にしたいと願う上級生も、お姉さまにしたいと希望する下級生も引く手数多(あまた)になっていた事は間違いない。
絶対に放っておかれなかっただろうし、もしかしたら山百合会のメンバーも変わっていたかもしれない。



「ところで瑞穂さん、最近瑞穂さんをエトワールにという話が盛り上がっているのを聞きましたか?
 面白いぐらいに瑞穂さんの株が上昇中みたいなだけど…」


「困りましたわ…編入してきたばかりの私に資格があるとは思えないのに…」


瑞穂さまにはそんな自分の魅力がわかっていらっしゃらないのか…それとも編入生と言う理由で自信がないのか…どうも乗り気じゃないみたい。

つまり…宮小路瑞穂さま自身にはエトワールスールになる意思がないという事なのでしょうか?




「エトワールスールになるのが重荷ですか?」

貴子さんがすかさず瑞穂さまに探りを入れる。
屋上の会話といい、すぐに状況に対応できる貴子さんについ感心してしまった。



「貴子ちゃんも紅薔薇もつぼみも、私よりもふさわしい人は他にいると思わないかしら?
 私には少なくとも五人は思いつくのだけれど…」



御門まりやさまのはっちゃけぶりとリリアンかわら版のインパクトがあまりにも強かったから忘れていたけれど…瑞穂さま本人は一つの落ち度も見つかりそうにない控えめなお方だった。

冷静に考えてみると、そんな瑞穂さまならリリアンになじめて間もないのに全校生徒の代表みたいな称号を欲しがるなんて事はないだろう。


「ふふ。瑞穂さんのその奥ゆかしい所も魅力的なのよ」

こういう風に、学園生活を楽しみたい一心の蟹名さまと違って…。



「それなら、そのふさわしい人に票を譲渡なさるのが良いでしょう。
 票は譲渡できる事になっていますので…」

祥子さまをエトワールにするために瑞穂さまにアドバイス(指図とも言う)をする貴子さん。
さりげなく、しかも適切な言葉を選んで人を指示するその手際には感心させられる。




「でもね貴子。原則として二割以上の票の譲渡は認められないのよ。
 もし瑞穂さんがそれぐらいの票を集めたらとても困った事になってしまうわね…くすくす…」

全然困った風に見えない蟹名さまは貴子さんの言うとおりお変わりのないようです。



「蟹名さん。冗談でもそのような事はおっしゃらないで…」

逆に戸惑っている瑞穂さま。

そんな二人を見て、瑞穂さまも蟹名さまも本気でエトワールスールになる気がないという事がわかった。

これなら、祥子さまをエトワールスールにする事も難しい事じゃないだろう。







あとがき
貴子さんはツンデレです…そして祥子さまとの相性は最高にいいのです…栞さま混じりの白薔薇姉妹に匹敵するぐらいに…そして祐巳嬢との相性も…。

祐巳嬢視点の瑞穂さま観察は楽しいなー


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