あくまと断罪の天使



閑散とした雰囲気の中、蟹名静さんがオルガンを弾きながら歌を歌っている。

リリアンに編入して以来白薔薇さまにつきあって礼拝堂には通い慣れたはずなのに…その雰囲気に心震わされてしまった。

この場所の音響効果のある造りが非日常な響きを生み出しているだけじゃない、新鮮に感じられるのは歌が特殊なせいだろう。


その知らない言語の歌は控えめな喜びを内包しながら荘重さを失わず、高貴な雰囲気を生み出しているけれど賛美歌ではなかった。

人の虚飾をはぎ取っていくようなその音楽につい、自分の置かれた状況を忘れてしまいそうになる。


オルガンの前の彼女から目をそらせない。
声をかけることなどできそうもない。



歌姫…そんな言葉が思い浮かんできた。








とても長く感じられた歌が終わると静さんは立ち上がり、お御堂の中央に立ってこちらに向き直る。
その堂々とした姿を見て、この人こそエトワールスールになるべきだったのかもしれないと思ったその時…




「喜べ少年」



…先程の音楽の余韻を残した芝居がかった言葉で…



「君の願いはようやく叶う」



…こちらの心臓をわしづかみにするような事を口にした。




少年だって!?。
いや、その芝居がかった台詞はとても本気だとは思えない。


でも、冗談とは思えない声は一体…


「…な何を…言って…るんですか?」


雰囲気に押されて、声が震えてしまっている。
これじゃ…後ろめたいと思われてしまう。



「ごめんなさいね、一度言ってみたかったの。前ふりはここまでにして、本題に入りましょう」


よかった…さっきのは何かのセリフを真似ただけのようだ。
でもその邪悪な表情は何ですか?。



「合唱に携わる者として、女性のものとしか思えない声を出せる
宮小路瑞穂さんの喉仏(のどぼとけ)はどうなっているか興味がありまして…」


って…やっぱりばれていたー!



「静さん…いつ……?」


「私は初めて会った時からあなたの声に疑問を感じていた。
 歌劇に登場していた女性の声を出せる男性の声と同じ感じがしてたもの」


同質の声を聞き分けるなんて、どういう聴力と記憶力してるんだこの人は!?



「それでも私はリリアンの生徒の中に男性が混じっているなんて信じなかったわよ。会った次の日、あなたの素が表れるまではね。
 本当に…心臓が飛び出そうなぐらいびっくりしたわよ、あなたは女性にしか見えないし」

つまり…参考書を整理し終わった時に気づかれていたと言う事なのか。
編入して一週間以内に…紫苑さんと、静さんの二人にばれていた事になる。


「この豊かな胸とか…」
静さんは近づいて胸に手を伸ばしてきた…
別にパッドだからいいけど…紫苑さんみたいなマネはやめてください…。


「この目立たない喉仏とか…この長い美しい髪とか…」
言葉に合わせて、僕の体に触れてくる静さん…なんだかまずい…。


「この長いまつげとか…この腰のくびれとか…」
「うわぁぁぁぁっ!!」

至近距離で体をいやらしい手つきでまさぐってくる静さんに
貞操の危険を感じて、思わず声をあげて飛び退いた。


「あはははは、やっと男という確証が得られたわ」

この人は危険だ、今まで出会った紫苑さまや薔薇さま方、つぼみ達とは違う邪悪さがある。



「まさか…先代紅薔薇さまの歴史参考書を渡して…早く評価をして欲しいと言ったのは」

「鋭いのね…あなたの考えている通りよ、
 世界史の授業であなたの隣に紅薔薇さまがいるのは知っていたわ
 紅薔薇さまがあなたに反発し、私がそれを退けながら、あなたの功績を讃えて票を譲渡する。
 大半の生徒は理不尽な紅薔薇さまに目の敵にされ
 人知れずがんばっているのに報われる事のない、『かわいそうな』瑞穂さまを支持する気になったでしょうね。
 あの後白薔薇さまが支持に回ることまでは期待していなかったけど。」


あくまだ…マリア様を背にして、お聖堂にあくまがいる…。



「どうしてそんな事を…?」

「そうね…強いて言うならあなたがあまりに幸福そうだったから…つい…」

幸福そうだったから、何をしようとしたんでしょうか?


「不純な理由で幸福そうだったので、つい現状を知らせてあげたくなったのよ。
 人生とは楽なものではなく。常に苦しみ自虐に押しつぶされるもの。
 その見せかけの幸福は私の一息でたやすく消え去ってしまうものだと…」

それはつまり…僕が気にくわないという事なのでしょうか?


「いいえ、貴女の事が憎い訳じゃないわ。
 私はただ幸福そうな人を見ると化けの皮をはがしてみたくなるのよ…
 もしかすると、これは私の趣味なのかしら?」

こっちに聞かないでほしい。



そして、マリア様を背にしてるあくまは今まで目にした事のない邪悪な笑みを浮かべて告げてきた。



「どうです?
 最初の『みんなのお姉さま』が男だったという驚愕の事実は胸に迫るものがあるでしょう?
 白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)」

その言葉を理解する前に、悪魔のような静さんの視線を追うと……


礼拝堂の後ろの席から起き上がる一人の生徒が…久保栞さんが見えた。

席の影に隠れて今の話を…よりにもよって白薔薇さまに聞かれてた!?
久保栞さんはいつもの穏やかな様子はどこへやら…似つかわしくなく驚きと怒りと困惑に歪んだ表情をしている。






「何が『胸に迫る』ですか!?

 立派な変質者じゃないの!?

 選挙に参加したみなさんに

 認められるわけないじゃない!

 万が一みなさんがが許しても、

 この私が絶対に!

 ぜーったいに!
 
 許さないんだからぁ!!」






ああ…おとなしい人が本気で怒るのってこんなに怖かったんだ…。

人はそれを現実逃避と言う。









「私は貴女の事を大切な仲間だと思っていたのに…なんて事をしてくれたんですか!」

懺悔室で向かい合う白薔薇さまは断罪の天使が悪魔を見るような目でにらみつけている。
せまい部屋に二人きりという状況に息が詰まり、無言のプレッシャーが心肺器官を圧迫してくる。
水の中じゃないのに息苦しさで溺死しそうで…このヒトの前では何もかも話して懺悔した方が楽なように思えてくる…。



「編入の時点で知っていたのは、まりやと緋紗子先生と学園長先生です…」
「学園長先生まで!?」

そういえばリリアンの学園長先生は栞さんの母親代わりだったとまりやから聞いたことがある。


「正直に言いなさい!他に知っているのは誰ですか!?」
「秘密にしてくれる紫苑さんと、さっき教えられた静さん…あと令さんです」
「黄薔薇さまに紫苑さままで…」

栞さんはいつもの穏やかな様子は全くなく、感情を露にして頭を抱えている。


「…これから生徒たちを騙し続ける事をお許し下さい…マリア様。」

あれ?
懺悔室に連れ込まれてから厳しい追及が続いていたけれど…どうして白薔薇さまは味方になってくれるんだろうか?


「秘密にしてくださるんですか?」

「当たり前です。公になれば学園長先生の名誉に傷が付きます。
 しかも黄薔薇さまと私の支持も得て全生徒の代表たるエトワールスールにまでなってしまったのですから、
 こんな事が生徒に知れたら…はぁ…」


聞き手の白薔薇さまは盛大にため息をつく。
こんな栞さんを見るのも初めてだ。



「栞さん。この部屋をお任せするとは言いましたが、ここは取調室じゃありませんよ」

二人で困りきっていると学園長先生が入ってきた。
きっと蟹名静さんが呼んだのだろう。


「瑞穂さんを責めないで下さい。
 この事は私も望んだことなのですから」

「先生が言うのなら…。でも……」

栞さんはまだ納得できないらしく、考え込んで…


「私はこれから男性の方と一つ屋根の下で…壁一枚隔てた場所で暮らさなくてはならないんです。
 そんな不潔な事、マリア様はお許しになられるのでしょうか?」


「あなたはこの一ヶ月の間、寮で瑞穂さんと、マリア様に恥じるような行為をしたのですか?」

「あ…」

栞さんの頭の中ではどうやら、今までの瑞穂も女性と言う事になっていたらしい。
令さんもまりやも正体を知らない方が幸せだとか言っていたような気がする。

「今まで…今まで一ヶ月……男性の方と……あ…ああ……」
白い肌が赤くなりそのあと真っ青になったかと思うと…


「栞さん!?」
傾く栞さんの体をあわてて支えて…顔色を確かめてみると…。
気絶してた…やっぱりこの事実はリリアンの天使にとってとても衝撃的な事だったみたいだ。


「そういえば、女性と深く関わったことはあっても、
 男性と接触した事がありませんでしたね。
 もしかしたらこの子にとっても良い経験になるかもしれません。
 瑞穂さん、栞さんを頼みます。立派な子ですが清純さや謙虚さが過ぎるのです」

学園長先生は栞さんの顔色を確かめると、そんな事をいってくる。

でも、頼むと言われても…エトワールスールになっただけでも気が重いのに…。
これから白薔薇さまにも気を遣わなくてはいけないのだろうか?







「三十八度六分…はぁ…潔癖症なのは知っていたけどまさかここまでだったなんて」

寮に栞さんを運ぶと、世話をまりやが行ってくれた。

夕食が終わっても起きないのでまりやと由佳里ちゃんが寝着に着替えさせてから体温を測ってみたら、恐れていた通り熱を出していて顔色も悪い。


「最近何かと悩む事が多かったみたいね…その上瑞穂ちゃんの正体を知った事で反動が一気に来たのかも…
 まったく、一人で抱え込みすぎるのは変わらないんだから」

さすが三年も付き合いがあるだけあって、まりやは栞さんの事をよくわかった上で心配している。

二人でこれからの対応を話しているうちに栞さんが目を覚ました。


「まりやさん…?今…何時ですか?」
「九時よ、熱があるみたいだからもう休みなさい」


しかし、今日の白薔薇さまは更に調子が悪いらしい…


「どうしてあなたがここにいるんです!?夜に女性の部屋に入り込むなんて!恥を知りなさい!」

さっきまで天使の寝顔が一変して…いつもの栞さんらしくなく厳しい声で叱りつけてきた。
でも、顔色が悪いし元気もない。


「そんな事言っていいの?瑞穂ちゃんは栞を抱えて寮まで運んでくれたのよ。
 礼の一つぐらい言うべきだと思うけど」
「運ぶ…って…まさか…」
「下校中の生徒は少なかったけど、お姫様抱っこでね…選挙のときの紫苑さまと同じく…」

まりやが両手を前に出して抱えるしぐさをすると栞さんがうなだれる。



「…私…もう…お嫁にいけません…」

「元から行けないわよ!修道女はお嫁に行けないから!」


栞さんは混乱して、なんだか言ってることが無茶苦茶になってる。
立場が逆…まりやに突っ込みを入れられる栞さんなんて今まで想像した事がなかった…。


「あなたもあなたです!瑞穂さんの事を私に隠しているなんて!」
「隠してたのは謝るけど、言ったら反対したでしょ?」
「当たり前です!」

そういえばこの二人が言い争っているのを見るのは初めてだ。

まりやの発言に眉をひそめる栞さんなど日常茶飯事だけど、ああいうのは互いに冗談交じり、二人はいつも仲が良い。
三年間の付き合いの二人の友情がこじれなきゃいいけど。


「とにかく落ち着きなさい、今のあなたは興奮していい状態じゃないのよ」

似合わず声を荒げる栞さんはまりやに押さえつけられるまでもなく体力がほとんどないぐらいに弱っている。



「昨年水野蓉子さまがじんましんが出たり高熱が出たりするぐらいの男嫌いじゃないって祥子の事を注意なさったけど…まさか本当に高熱出す人がいるとは思わなかったわ」

「身近な方が実は男だったなんて知れば誰だってショックです…大切な仲間だと思っていたのに…」

その言葉にかなり反省する。
思えば初めて会った時から栞さんは慣れない瑞穂のために色々な世話をしてくれていた。

結果的に、善意からのその行為を裏切った事になる。
逆の立場だったら、おそらく怒るだろう。


「栞の潔癖症は祥子以上ね」
「あなたが寛容すぎるんです」


「エトワールのお姉さま〜白薔薇さまの食事をお持ちしましたです〜」

結局、由佳里ちゃんと奏ちゃんが遅い夕食を運んで来てくれて、体調がすぐれないのと空腹なのと下級生の前で怒り出す訳にも行かないらしく、ようやく落ちついてくれた。






あとがき

ついに栞さまにばれるの巻。

なんじゃ…この展開は…?

言峰神父ネタはもう今更として…(するな!)、
蟹名さまが聖さま化してる上に園樹のイメージが暴走しまくった素敵仕様に変更されておるわ…
お笑い要素が不足してた反動が一気に噴出した感じ…

すでに久保栞さまが同仕様とか言うの禁止…と言いたい所ですが今回の素な栞さまは更に変わってしまっております…
これじゃ「プリンセスうぃっちいず」の委員長(ナターニア)じゃないか…。

最大フォントでかっ…しかしド●の拡散ビームなみに迫力ない…うおっまぶしっ…ってね。

薔薇さまのうち二人が爆弾持ちで潔癖症…これでいいのかリリアン学園…

まあ栞さまの場合はめったに爆発しない対戦車地雷という事で…


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