もう一人の部屋の主


寮の宮小路瑞穂本人の部屋の前で立ち止まる。

未だかつて、ドアを開けて自室へ一歩を踏み出すのがこれほど迷ったことがあっただろうか?

ドアを開けたら何が起こるか想像もつかない。



『今は私が部屋の主』

その伝言を伝えた存在が、中に在る。



この時、どうすればいいか、昼休みに久保栞さんと蟹名静さんに相談した。
今日一日考えた、今更これ以上悩んでも仕方ないだろう。



「ただいま」


誰も、部屋の中にはいない。

…いるはずがないと思いたい。
でもこの部屋には、何かがあったらしい。


数秒後に気付く…変だと思っていた違和感があった。
机の上に一冊の本がページを開かれて置いてある。






まるで、誰かがさっきまで読んでいたように…





「宮小路…幸穂…」

反応がある事を期待して、そう口にしてみた。






「……っ」

誰かが息を呑むような声がした。
今度は全力で聞こうと目を閉じて問いかけてみる。





「母さま、いるのですね?」


「…は…い…」

もう、間違いない。妄想や幻聴なんかじゃない。

今さっき、確実に聞こえた。





「私をここへ呼び寄せたのは貴女ですか?」
「…あなたがここには来たのは、私が死んでも直らない馬鹿だったから…」
「一応自覚はしてるんですね…馬鹿な事…したって」




目をつむったままだけど、今度は会話が成立した。




「目を開けてくれませんか?」
「私が一番怖いのは、目を開けても何もなかったという事なんですけど」

その言葉は半分以上が嘘。なにしろ…





「瑞穂…わかってやってますね?」
「そりゃもう、私をこんな風にした元凶ですから」

…蟹名さんから聞いて知った。
幽霊というのはとにかく、姿を見られないことにストレスを感じるらしい。
子供じみていると思うけれど、こんなことせずにはいられなかった。




「でも幽霊と言うのも不便なのよ。
 一度思い込むと、止まる事なんてできなくなる。
 感情だけで成り立っている存在だからなのね」

だからこそ、人に怖れられるのだろう。




「だとすると、いつも見ていて下さったのですね…私がリリアンに来てからは特に…」
「ええ…ところで瑞穂」
「何でしょう?」
「十数年ぶりに再会した親子の展開じゃありませんよ、コレ」

声に非難の口調が混じってる。
少し、いじめ過ぎたらしい。




「そうですね、つまらない意地を張るのはやめましょう」


本当はもっと目をつむっていて母様を困らせたかったけどこれ以上は瑞穂も我慢できそうになかった。




目を開ける。




すると、予想通り宮小路瑞穂と外見の変わらない人が宙に浮いていた。

お御堂でその姿を見かけたことがあるけれど今のようにはっきりと認識したのは始めてで…


「本当はあなたに姿を見せる予定はなかったの。
 未練が残れば昇天しにくくなるから…」

そうだ…しかし、記憶に全くないこの人と会えただけでも。
十分リリアンに来てよかったと思った。




「本当は、私のせいで地縛霊となった高根一子ちゃんを成仏させたらすぐにこの世を去るつもりだった…」

高根一子…、この部屋が開かずの間として使用されなかったその原因。



「なのに…余計な事をしてしまったの」

余計な事とは…今の瑞穂の置かれた状況の事だろうか?




「ごめんなさい。せっかく私の事を忘れていられたのに…戻ってきたりして」

何を今更。




「母様が引き起こしてくれたこの状況に比べれば、母様の存在なんて…」

リリアンに編入させられた。
エトワールスールに選出されて全校生徒からお姉さまと呼ばれ慕われるようになってしまったことに比べれば些細な事だ。





「変ね、抱きついたりしてくると思ってたのだけど」

こうして母親を前にしても、あまり感慨が湧いてこない。
あの潔癖症の栞さんが瑞穂の事をあまり嫌悪しない理由がわかった気がする。
目の前の人物が母親だという以前に、自分の姿をしているから頭ではっきり母親だと認識できないんだ。


そうでなければこうやって平生を保っていられるはずがない。


「とりあえず…ごきげんよう。母さま」


こんな風に、平然と挨拶をする事もできはしない…










「…本当の幽霊は誰にも気付いてもらえなくて…忘れ去られて諦めて消え逝くものみたいなの」


栞さんが気を遣ってくれたおかげで、就寝前はずっと部屋に引きこもって母さまと話していられた。

「それじゃあ未練を叶えていけばいいのではありませんか?」

…とはいえ、母と話した記憶はほとんどない瑞穂にとって、彼女がどんな願いを持っていたかなんてわからないのだけれど。


「そう、じゃあ…一…に…て…」
「はい?」
うつむいて絞るように小さい声で話すから、言葉の最後のほうが聞き取れなかったのだけれど。



「一緒に寝てって言ったの!」
なぜか怒ったように叫ぶ母さまの気持ちもわからなくはない。
ちなみに彼女は実際その経験はあるのだろうけど、瑞穂にその記憶はない。


…でも…


「いいんですか?僕も男です…酷い事してしまうかもしれませんよ」
「母親に手を出すような変態さんに育てた覚えはないわ」

…あの…育ててもらった覚えもないんですけど。




「…それに…由佳里ちゃんが大丈夫だったから……」

そういえば、ずっと見られていたのだった。
実は昨日、由佳里ちゃんが瑞穂の部屋に来たのもこの人の仕業なのかもしれない。
けれども、そんな事はどうでもよかった。



目の前にあるのは自分の顔。
蟹名さんに教えてもらったとおり、幽霊にも触れられるから、人肌の感触もあるのだけれども気にならない。


最も大きな気がかりは……この事が明日になると夢だったのではないかという不安だった。



あとがき

幸穂さま降臨、久保栞さまと厳島貴子さんに引き続きまたオリジナルグループ作って何やってんだ私は!?
しかもコイツ、私の制御を離れて暴走してやがりますよ…私にもこいつの行動は予想がつかない。
一子ちゃんを書く自信がないからこうしたのですが、これはこれで問題かも…



ブラウザの「戻る」でお戻りください