エトワールの朝


リリアン女学園の寮の朝は早い。

生徒会長であり寮生の代表でもある白薔薇さまが朝一番にお御堂に行くのに大半の生徒がついて行くからである。

今日もいつも通り早く起き、身だしなみを整えて食堂に行くと…

「ごきげんよう、エトワールのお姉さま」
「ごきげんよう、お姉さま」


…寮の食堂でさっそく数日前に与えられた称号で呼ばれたのでそれに笑顔で応えた。

間違っても片手をあげて「おはよー」と言うだけのかつて共学進学校の挨拶などしてはならない。
「宮小路瑞穂さま」は全校生徒のお姉さまなのだから。



「ごきげんよう、みなさん」


「わー、お姉さまに挨拶されましたわ」
「良い一日になりそうです」
「今日もお綺麗ですわね、エトワールのお姉さまは」

挨拶を返すと、至福の表情を浮かべるリリアンの天使たちだけど…。


(僕は男なのに…)


おかしいなぁ…人を喜ばせるのってこんな気分になるものだっけ?


「ふふーん、もてもてねぇ瑞穂ちゃん…いえ、お姉さま」
「ごきげんよう、エトワールのお姉さま…今日も祝福がありますように」


本来なら下級生しか呼ばないその名称で、同級生の御門まりや・久保栞さんからさえも呼ばれる。
リリアンに編入してから一ヶ月、とんでもなく厄介な事になってしまった。

こんな事になったのも隣で笑うまりやのせいでもあるのだけど…。


「勘違いしないでね、あたしは遺言が実行されるようにしただけよ。
 瑞穂ちゃんを困らせて遊ぼうなんて思ってないから」


嘘だ…あれだけ選挙前にあれだけ暗躍していたくせに…。



どうして、こんな事になってしまったんだろう?







大半の寮生が白薔薇さまと御門まりやと一緒に早朝に登校する時は、エトワールスールになる前と今とであまり変化がない。

この早い登校時間、校門に続く並木道に現れる物好きかつパワフルな生徒は滅多にいないからである。

以前…エトワールスールになって数日は登校するお姉さまの姿を一目見ようとするリリアンの生徒が校門前で待ち構えたけどお目当てのお姉さまは登校済みだったという事があった。
もし登校時間が通常の生徒と同じだったらと考えると、考えただけでめまいがしそうになる。

なにしろ校内の生徒の対応といったら…興奮と尊敬の眼差しで見つめてくるのだから。




「お変わりありませんか?瑞穂さん」


教室に着いて隣の紫苑さまに声をかけられて安心すると同時に、早朝のまばらな生徒達と顔を合わせるたびに笑顔を振りまいていたので顔が疲れていた事に気がついた。

全校生徒の注目の的になってしまった今、事情を知る紫苑さんという味方は瑞穂にとって心のオアシスである。


「変わった事といえば珍しく栞さんが寝過ごした事ぐらいです。あとは相変わらず…
 毎日がこれではエトワールスールの役割が果たせるかどうか不安です」

「どうしてですか?みなさんからあんなに人気があるのに」

時々、紫苑さんは真面目なのか冗談なのかわからなくなる。


「紫苑さん…あなたならわかっているでしょう?…その…私が」

紫苑さんはこちらの事情を忘れてるのかもしれないけれど。


「そうね…例えば、選ばれた人が『全校生徒のお姉さま』にふさわしくなかったとするわね…」

「うぐっ…」

さすがにその言葉は心臓に食い込んだ。
男ですから、ふさわしいはずがない。


「あらあら…でもそれでもいいのよ。
 大切なのはエトワールスール本人の素養ではなくて、みなさんがエトワールスールをどう思うかですから」

気休めなのだろうけど、選定基準を任された紫苑さんがそう言ってくれるなら少しだけ救われたような気がする。



休み時間や移動の時にエトワールのお姉さま…しかも編入生…を一目見ようと多くの生徒達が押しかけてくる様子から察すると、エトワールスールはリリアンに歓迎されているようだ。

それこそ、十条紫苑さんや支倉令さんが気を利かせて入場制限や人払いみたいな事をしてくれなければとても対応しきれない程である。

紫苑さんと一緒にこれからの対応を話していると…

「『貴女』はもっと自信を持つべきよ、お姉さま」

…そんな揶揄(やゆ)の意図が混じった声と共に黄薔薇さまこと支倉令さんが隣にやってきた。





エトワールスールに選ばれたその日に寮の部屋にやってきて…

「『貴方』の正体を知っているから、これからもよろしく」

…と言って来たのには驚いたけど、その場にいたまりやから信用していいと告げられたので今では紫苑さまと共に同クラスの心強い味方になっている。


選挙の時に支援した理由を聞くと…

「『貴女』の容姿が体を取りかえたいぐらい素敵だからというのは理由にならない?」

…支倉令さんと宮小路瑞穂は性別と見かけが逆なのをからかってこんな返事をする辺り、この男侮れない。







次の瞬間、危険を察知して反射的に首を後ろへ傾けられたのは訓練の賜物だろう。
目の前を黄薔薇さまの空手チョップの一閃が通り過ぎた。

「ふーん…避けるんだ。さすがね…」
「な…何をするんですか?」

竹刀を持っていないとはいえ…さっきの剣道で鍛えた技の応用はすごく殺る気が伝わってきたんですけど…。

「さっき何だか無性に腹が立ったの…きっと女の勘というやつね」
「ええ、今のは瑞穂さんに非があるでしょう」

しまった。
このリリアンで前にいた高校の男の同級生と対応する時のノリで考えるのはさすがに失礼だった。

「ところでエトワールのお姉さま、貴方にスールの申し込みをする生徒が現れた場合の対応はもう考えてある?」

令さんにそう言われので以前まりやに覚えておくように言われた応対の方法を思い返してみる。


「『私はロザリオを持ってませんし…みんなのお姉さまでいたいの…ごめんなさい。
 だから私はあなたのスールじゃなくてもあなたのお姉さまよ』…」

途端、令さんはお腹を抱えて震えだした。
いや…もう慣れっこになってしまったけど…そこまで笑わなくても…。


「その流し目…そのうつむき加減の顔の傾き…あと物憂げな表情。
 たまらないわ、もうこれだけでご飯三杯はいけそう…」
「発案と振り付けは御門さんですね。これなら断られた悲しみどころかいい思い出になりそうです」

紫苑さんと令さんは別のクラスの御門まりやに代わって瑞穂の周辺をガードしてくれるけれど、時々からかってくるのが困るところだ。


「ごきげんよう、エルダースールにロサ・フェティダにエトワールスールの揃い踏みは三年菊組の名物になってしまいましたね」

突然そんな声と共に蟹名静さんが現れる。
すると紫苑さんと令さんが今までのお遊びモードだった表情を引きしめたのを見て、やっぱりこの二人を頼りできてよかったと思った。

「蟹名さん、図書室の件ですか?」

選挙で蟹名静さんは票を譲渡する際、卒業生達が遺していった参考書を貸し出せるようにする事を発表した。瑞穂は以前にいた学校の経験を生かして参考書の評価をしたり貸し出し方法に意見を求められたりしており、その事が蟹名さんの譲渡の理由となったのである。

 そういった事情が先日刊行されたリリアンかわら版の『エトワールスール特集号』に掲載されたため、参考書の貸し出し開始を前に応募が殺到したので蟹名静さんは最近調整に追われていた。

昨日まで瑞穂は紫苑さんと一緒にそんな蟹名さん達図書委員を手伝っていたのだけど…。


「ようやく一回目の貸し出しの調整が終わったから。今日『初貸し出しイベント』があるの。
 そこで…ぜひエトワールのお姉さまと紫苑さま…できれば黄薔薇さまにも立ちあっていただきたいのよ」

「わかりましたわ、放課後に図書室にうかがいます」
乗りかかった船だし、選ばれたからにはエトワールスールとしての期待に応えるべきだし。

「私も行きましょう」
紫苑さんはきっと去年エルダースールの座を空席にしてしまったお詫びだろう。
リリアンに発生したエトワールスールのブームのせいであまり目立ってないけど、教養の深さを生かしてある意味瑞穂以上に貢献している。


「面白そうね、私も行かせてもらおうか…百合会の仕事があるけどそんなに急ぐものじゃないし…」
黄薔薇さまこと令さんも承諾した。

この時、申し出を受けた事がこの後とんでもない事になるなんて、思いもよらなかった。







あとがき
令さまが黒くなってる…紫苑さまとコンビを組んで何やってるんですか黄薔薇さま…これじゃ鳥居江利子さまじゃないか…。

隣のエトワールのお姉さまは確かにそれぐらいの影響力を持ったお方ですが…どういう反応を起こしてしまったのやら…


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