白薔薇さまのいない朝


昨日、久保栞さんは寝坊したけれど食前の祈りも集団登校もいつも通り行う事ができていた。
でも今朝は違う、食事の時間になっても起きてこなかったので状況が変わり、まりやと二人で登校する事になっている。



「栞さんのためとはいえ、制服を隠したのはやすりすぎでは?」

リリアン女学院への通学路にて久保栞さんに投げつけられたお御堂の鍵を眺めながら、我が従妹に注意する。



「栞はああ見えて強情なのよ、下手すると這ってでもお御堂にたどり着こうとするわ。瑞穂ちゃんはその方がよかったっていうの?」

いつもと違って集団登校じゃないから、まりやはいつもの呼び方をしている。




「それに…私が栞さんにかわって朝のお勤めをするなんて…」

鍵を投げつけた後、栞さんはお御堂でのお勤めの要点を非難の口調で語ってきた。
清く正しくあるべき立場だから当然だけど、栞さんは瑞穂が男だという事を相当根に持ってる。



「瑞穂ちゃんは何回も栞と一緒に礼拝堂で活動してたじゃないの、適等にまねしとけばいいのよ…エトワールのお姉さまなんだし」

確かに栞さんに誘われて早朝の手伝いをした事はあるけれど、久保栞さんのようなまねができる自信が全くない。

そんな不安を抱えながら栞さんの言いつけどおりにお御堂の鍵を使い、祈りのための場所の扉を開けた。







幸い、早朝のお御堂を訪ねてくる生徒はあまりいなかった。
熱心な聖書朗読の部活の白薔薇さまファンでも、朝のこの時間は早すぎてまばらなのである。



「エトワールのお姉さまは聖書の御言葉を解釈し、みなさんと分かち合って下さい」


新入生の中に一人だけ熱心なクリスチャンの少女…栞さんは優秀な補佐と言ってた…がいたけれど、その子は何も戸惑うことなくロサ・ギガンティアの代理としてエトワールスールの手伝いをしてくれる。



「的を外していたとしても恥じる事はありません。フォローをするのが私達の役目ですから」

そうは言われても…教養としてしか聖書を読んだことがない身としては何を話せばいいのかわからない。




「もしあなたがたが私の言葉にとどまっているなら、あなた方は確かに私の弟子です。
 そしてあなた方は真理を知るようになり、真理はあなた方を自由にするのです。
 (ヨハネの福音書8章31節より)」

その場の要求にあわせて壇上の聖書をめくって朗読する事ができたのは、リリアンに編入する時に何度も繰り返した想定と訓練の賜物だ。

この聖書箇所は以前久保栞さんから個人的に詳しく教えてもらった場所であり、その内容をなぞる事はできる。



「今、病に伏せっている白薔薇さまにかわり。
 以前私が白薔薇さまから教わった事を述べたいと思います。
 私は『真理とは何でしょうか?』と私は聞きました。
 栞さまは、『救い主が人類のために死んでくださった事を初めとする聖書の御言葉が真理です』と答えました。
 それならば自由とは何でしょうか?何からの自由でしょうか?
 栞さまは『御言葉にとどまる人は罪から自由になります』と答えました」



ここまでは覚えている、でも…正直に言うとここから先の説明はほとんど覚えてない。
考えれば思い出せるけど…それだと時間がかかりすぎる。


だから、言葉を続けられずに黙り込んでしまった。
だめだ…こんな形で話を中断してしまうとそばにいる一年生もフォローしきれない…




「罪とは何でしょうか?
 罪と訳されたこの単語は…原文では『sins』…この言葉はギリシャ語の『的外れ』を語源としています。
 社会の中で法を犯す事による『犯罪』ではなく。私達がこの世にいる限り逃れられない『的外れ』のことです」


驚いた事に、瑞穂の意図と違って話は続けられていた。
壇のそばにたたずむ一年生も、壇に向き合う生徒達も口を開いていない。

話を続けたのは紛れもなく…エトワールスールだった。
しかし、どうして宮小路瑞穂の知りえない内容が語られているのだろう?





「残念な事にこの世の常識とされる事は聖書と多くの矛盾ができています。
 みなさんも一度は考えた事があるでしょう?
 男性を知らないマリア様が聖霊によりイエス様を授かった事について…遺伝子操作もしないで人類が単為生殖することは不可能だと…非科学的なありえない話だと思った事があるでしょう?」



な…何を言っているんだ僕は!?

カトリックの学校では禁忌とされそうな穏やかならざる話題に、横にひかえている一年生はどうすればいいか困惑している。

でも…なぜか口から勝手に言葉が出てきて止まらない…




「白薔薇さまは聖書に疑問を持つ事を『的外れ』だと説きながらも私を責めませんでした。
 白薔薇さま自身もは御言葉にとどまり続ける事はできず…『的外れ』から逃れられないと告白してくださいました…」


待て待て待て!
確かにこういう話を久保栞さんとしたことはあるけれど、違う。
こんな事を話そうなんて思ってない。



「そんな白薔薇さまを信じています。
 主の栄光を現すために生きて、イエス様に似たものとなるために献身して、神の家族を構成するために身を捧げる使命を果たしています…その献身は真実のものです…みなさんも知っているでしょう?」


自分ではない誰かの感覚があって……自分の体が…口が…言葉がうまく操れない…。

そんな感触に疑問を持った時、『それ』を見つけてしまった。





「この世の『的外れ』に捕らわれ、信じる事ができなくても何も憂う事はせず…白薔薇さまのような方に出会い、こうして真理に触れ、御言葉に止まられる事を喜びましょう。
 常に御言葉にとどまる事はできず…『的外れ』から罪から自由になれずとも。
 ただ、逃さずにつかむ準備さえできていれば必ず機会が与えられる…聖霊の導きとはそういうものだと白薔薇さまはおっしゃいました。
 …その言葉を信じて祈りましょう…それが『的外れ』から自由にされる真理の第一歩なのですから」




礼拝堂の一番前の席、うっすらと透き通った女の子が礼拝堂の一番前でこちらをじっと見つめながら口を動かしていた。



それは紛れもなく…毎朝鏡で見ている自分の姿だった。

鏡に映っているのは姿だけではなく、口の動きも壇上の宮小路瑞穂を真似するように動いている。


いや…宮小路瑞穂が…その幻が話す内容をしゃべらされている!?





「エトワールのお姉さま?」


隣の一年生の心配そうな声に我に返った。



最前列にいたはずの、自分の姿をした幻も消えている。




情けない、壇上に立って久保栞さんから教わった事を話しているうちに気が動転し祈りの言葉を述べる所で黙り込んでしまうなんて…。

おまけにあんな幻を見るなんて…。



「…ごめんなさい。つい興奮して…不適切な事を言ってしまったかしら?」

「いえ…白薔薇さまとは少し違った、エトワールのお姉さまにしかできない素晴らしい話でした」

「少し疲れたわ…あとはお願いできるかしら…?」


幸い、顔色が悪くなっているのを察してくれて後はお御堂の常連の生徒達がやってくれる。

しかし、さっきの宮小路瑞穂の口から出た言葉は一体何なんだろう?
昨日、蟹名静さんの歌を聞いた時みたいにヘンな感触がしたけれど…。






あとがき

怪奇現象発生…しかし原作を知ってる人には状況がある程度推測が可能です…。

あと、宗教的に踏み込んだ所まで瑞穂さまが話してますが…一応カトリックの学校ですし…こういう会話もあって然るべきものだと勝手に推察してしまいました。


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