鎮魂歌は誰のため?


薔薇の館では「もう約束の時間」と言ったけれど、礼拝堂に着いた時にはまだ予定の時間にはまだ余裕がある。

こうして早めにやってきたのは蟹名静さんの相談を受ける前にはできれば祈っておきたかったから。


まして、朝にあのような失態を演じてしまったのだからなおさら…。



「主よ。私をあなたの平和の器にしてください
 憎しみのある所に、愛を蒔かせてください。
 傷のある所に、赦しを。
 疑いのある所に、信仰を。
 絶望のある所に、希望を。
 暗闇のある所に、光を。
 悲しみにある所に、喜びを。
 ああ、聖なる主よ。私が求める事がありませんように。
 慰める以上に慰められる事を。
 理解する以上に理解される事を。
 なぜならば、私達が受けるのは、与える事によるからです。」



礼拝堂で祈りながらも、平安が足りずに自然とため息が出てしまった。
日ごろから祈りによって…愛の調和を願う事によって思いを沈める事ができるのだけれど…今は多くの思い煩いがある。




小笠原祥子さんが日に日に落ち着かなくなっている。

小笠原祥子さんがエトワールスールになろうとしていた事を朝に祐巳ちゃんが知らせてくれた。

その事を聞いて選考会の場で…全校生徒の前で小笠原祥子さんを説得した事を後悔した。





あれはエトワールスールの選考会の途中の出来事だった。

紅薔薇さまが個人的な主張(わがままとも言う)を貫き通したせいもあり、無理をしていた十条紫苑さまが倒れたばかりか、瑞穂さまが紫苑さまを抱えて立ち去ってしまった。

その時、本当は全校生徒の前で批判をしたくはなかったけれど、久保栞の他には誰もその役目を引き受けられる者がいなかった。


「イエス様には、より良い未来を私達に与えて下さるよう祈りましょう。
 人の意志を否定するようなことは言いたくありません、
 しかし、何ですか先程の行為は?
 完全に他薦であるべきエルダーの選挙を得票上位者の駆け引きのように利用したばかりか
 無理をして先代のエルダーの責務を果たそうとする紫苑さまにあのような暴言を…。
 さらに怪我人を放っておくという人として恥ずべき行為をしないために紫苑さまを運ぶ瑞穂さんにまであんな言葉を…。
 恥を知れと求めるのは、求め過ぎですか?」

本当はこんな事を全校生徒の前で言いたくはなかった。
でもあの時の紅薔薇さまの行為はこうやって問い詰められるべきだと思う。



「もう…総意が反映されるべき場で意地を通すのはやめにしませんか?
 瑞穂さんに対する不信は誤解でした。私は瑞穂さんを推します。
 あとはもう、あなたの譲渡を待つばかりです」

そこでようやく祥子さんはあきらめてくれた。




あの判断が間違いだったとは思わない。

でも瑞穂さんじゃないけれど、小笠原祥子さんを説得する時熱くなりすぎてつい非難の口調を入れてしまった。


しかも、あの時の祥子さんの表情は、
誰も…味方は居ないのだと…そんな辛そうな表情だったような気がする。


妹の福沢祐巳ちゃんに祥子さんがエトワールスールになりたがっていて…その事を弱みを見せられる三人…厳島貴子・松平瞳子・福沢祐巳の三人…にしか相談できなかった程思いつめていたのなら、もっと言葉を選ぶべきだった。



結果的に白薔薇さまと黄薔薇さまの二人ともあからさまに敵対した事になってしまった。





それに、宮小路瑞穂さんをエトワールスールにしたのもまずかったかもしれない。
あの時、確かに全校生徒の総意によって瑞穂さんは祝福された。

だが、その経緯は決してまっとうな手続きを踏んだ物ではなかった。

なのにどうして、蟹名静さんや支倉令さんがなぜああもあっさりと票を譲渡したのかも気になる。
もしかしたら二人は、何か栞の知らない何かを知っているのではないだろうか?





心配する事は他にもある、妹の志摩子の事。

一定の距離を置いている今の状態は安定しているけど、心を静めた途端たまらなく心配になる。

恥ずかしい事に…自分は志摩子に夢中で志摩子も自分にべったりなのである。
気を抜けば不純な執着を抱きかねない程に。


ロザリオを渡さなかったのは志摩子の家の事情…寺の娘をクリスチャンに転向させる口実にしたくなかった…というのもあるけれど、
主な目的は甘やかすためではなくその逆、あえて関係に溝を作る事で二年前の佐藤聖さまの失敗を回避するためである。


全能なる主が私達の心を隅々まで見られる事に比べれば
この世の人が間違った見方をする事に思い煩うべきではない…イエス様ご自身が「この世の塩であれ」と述べた通りに在り続けられるのならば…

聖書にそう書いてある通り、祥子さんの意見は要領を得ていない対応する必要もないものだったはず。

なのにどうして…不安にこうもわずらわされるのだろう?




その祥子さんの別の主張、二条乃梨子は志摩子の妹として有力な候補だと言うのは正しい。
しかし…その子は果たして次の世代の山百合会を担ってくれるだろうか?

その可能性はほとんどない、二条乃梨子を気に入っているがあの子は栞の事を嫌っているらしい。


祈らずにいられない、志摩子に自分以外の何かを拠り所にする事ができるようになる事を。


「私も志摩子も互いの事しか見られなくなるような、そんな事はしたくないのです」






「祈りながら居眠りとは珍しいわね」

そんな朝にかけられた言葉を思い出して、今朝の失敗の恥ずかしさに身が震えて祈りがまた中断されてしまう。

慣習を破ってまで学園長先生が任せてくれた告白室で…しかも祐巳ちゃんの目の前で寝入ってしまうなんて……リリアンに入学して以来の大失敗である。




起きるまで見張りをしてくれたのが顔見知りの蟹名静さんだったのは不幸中の幸いだったけれど、その事を秘密にしてもらう事と引き換えに…


「栞さん、懺悔(ざんげ)がしたいのだけど…放課後のお御堂に来てもらえるかしら?」


…こうして蟹名静さんに放課後の時間を割くことになった。




「部活の予定はありません。でも、山百合会の予定があります。
 それに…失礼ですが貴女に懺悔が必要なのでしょうか?」


蟹名静さんは御門まりやさんと同じ、物事を楽しもうとする傾向がとても強い。
後悔や反省と言う言葉と縁がない人の代表のような人だと思っていたのだけれど。

何よりお御堂で懺悔したくなるような事…マリア様に恥じるような事…をするとはとても考えられないし。


「正確には相談かしら?いえ、告白と言えなくもないわね。
 あと、デリケートな問題だから変わった注文をつけさせてもらうわ…」

その「注文」を聞いても放課後に何をするつもりなのか全くわからなかった。










「そろそろ約束の時間ですか…マリア様、お許しください」

そう謝って、礼拝堂の後ろから二番目の席に横たわって隠れる。

二年前に佐藤聖さまと会った時、佐藤聖さまは丁度この場所で隠れるように眠っていた。






『私が呼ぶまでお御堂の椅子に横たわって隠れていて』

それが、蟹名さんがつけてきた注文だった。

どういうつもりなのか分からなかったけれど、蟹名さんには恩がある。

『栞さんの好みじゃないのはわかってる。でもここは私の顔を立てて主義を曲げてもらえないかしら?』



お御堂の椅子に横たわって寝るなんて、考えた事もない。
そういう意味では、そういえば初めて会った時にそうして隠れていた佐藤聖さまと自分は性格が正反対なのだと言っていいだろう。


そんな事を思うと二年前のお姉さまの気持ちが知りたくなったので、肩を抱いてまぶたを閉じてみた。











お御堂に響くピアノの音楽に、自分がまどろみの中に入ってしまっていた事に気づき、あわてて跳ね起きた。

一日に二回も意思に反して寝てしまうなんて…自分はそんなに疲れていたのだろうか。


礼拝堂の正面を見ると、蟹名静さんがオルガンを弾いていて。
その手前に優雅な栗色の長い髪の見慣れた後姿…宮小路瑞穂さんが見えて…慌てて椅子に横たわって隠れる。

危ない危ない、『呼ぶまで隠れていて』という蟹名さんの要望に反するところだった。




椅子に横たわって隠れていると、蟹名さんがどうしてこの歌を歌うのだろうと不思議に思った。

この音楽を前に聞いたのは二年前のクリスマス、胸のロザリオの持ち主…長谷川詩織さんがこの世の理から解き放たれた時の事。


リリアンにその言語の意味を理解する人はほとんどいないラテン語の鎮魂歌。

決して軽々しく歌っていい歌ではないはずなのに…。




しばらくして演奏が終わると…


「喜べ少年、君の願いはようやく叶う」


…そんな芝居がかった言葉を瑞穂さんにかける声が聞こえた。





あとがき

冒頭の祈りは、アッシジの聖フランシスの愛と喜びに至るための祈りから引用。
『他者への献身を厭わないラブ&ピース=うさんくさい』の方程式が成り立たない希少な例です。

そして明かされた、選挙の時に瑞穂が紫苑さまを抱えて立ち去っている間に栞さまは祥子さまを諌めていたという出来事。
こっちの平行世界リリアンで全校生徒の中で祥子さまを止められるのといったら紫苑さまを除けば彼女しかいないですから…。

しかし、こうやって悩みを抱えて祈るシーン…エステル・フリージア(夜明け前より瑠璃色な)を少し人間臭くした感じで個人的には気に入っているんですが栞さまのイメージに合わないかも…
…というかエステルだ…私の脳内劣化版エステルだなこれ…
(ゲーム版は未プレイ、小説版『夜明け前より瑠璃色な、ラベンダーアイズ』を読んだのみ)。


最後のセリフについて…エステルの次は言峰神父(Fate/stay/night)かよ!?

だ…誰だ貴様―――!?
すいませんついカッとなってやりました。。
シリアスなのは似合わないぜとばかり…栞さまにも…。

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