羽は広げて休めましょう 「ヤホー!久しぶり!栞!」 「そんな…どうして?」 ようやく、この人のいない生活にも慣れてきたと思ったのに…。 今一番会いたいけれど…会ってはいけないはずの人が現れてしまった。 「大学生に必須の便利なアイテム、携帯電話というのがあってね。 『休んでいられない栞さんの羽を広げてあげて』って梶浦緋紗子先生が連絡してきたの」 梶浦緋紗子先生は私達の関係を詳しく知る数少ない人。 去年のバレンタインに礼拝堂で交わした姉妹の契りと『別れる時には笑顔で』という誓いを知っている。 …当然、この佐藤聖さまと顔を合わせてはいけない事を知らないはずがないのに。 でも、本来なら拒絶するべきはずのそのお節介がありがたかった…わかっていたけれど、私はこの人がどうしようもないぐらい好きなんだ。 理性で抑えられる想いなんて偽物だと先生が言っていた意味がわかる。 「そのパジャマは御門まりやちゃんのだね。うわさのエトワールのお姉さまも交えてパジャマパーティーとかやったりしないの?」 佐藤聖さまはそんなふざけた事を言いながら、人の余所行きの服を引っ張り出してくる。 「ほら、体力があるのにじっとしてるのは良くないからさっさと出る。 この御門さんのを拝借するわね」 シスターになる心得として、所有する服を制限する事にしていたのだけれど。 御門まりやさんの親の方は本人がうんざりするほど大量の服を仕送りしてくるので、一部を譲り受けている。 ただ…下級生をおもちゃにして着せ替えパーティーをやるのはどうかと思うけれど…。 寮の庭に座りながら佐藤聖さまと二人きり…スールになってからもこんな状況になった事はほとんどなかった。 お互いに関係が親密になりすぎる事を恐れて避けてきたからである。 でも、今はもうそんな気を遣う必要がなくて…純粋に話せる事を嬉しいと思える。 そんな幸せが訪れるなんて思いもしなかった。 「すごい…編入生が颯爽(さっそう)と現れて三年菊組の雰囲気を変えてくれて…しかもその編入生がエルダースールになるなんて…まさにヒーロー登場って感じじゃない」 お姉さまは最近のリリアンの出来事、特に十条紫苑さまについて質問してきている。 彼女の不安を解いてあげようという気遣っているようだから水野蓉子さまとの交流は続いていているのだろう。 「正確にはエトワールスールですよ」 「名前は宮小路瑞穂とか言ったっけ?会ってみたいなぁ…ん?」 お姉さまはなぜか不思議なものを見るような目でこちらを見てきた。 「栞?その宮小路瑞穂と何かあったの? なんかさっきあからさまに気持ち悪い…というような顔したけど」 いけない…具合が悪いとはいえ、あからさまに嫌悪を示してしまうなんて。 「ええ。ちょっとした事で騙されて自分でも不思議なぐらい混乱してしまって…」 …い…言えない、男だなんて言えるはずもない。 「相変わらず一人でいろいろな事を抱え込みすぎてるのかな? 特に栞は志摩子の事となると、見境がなくなるし」 やっぱり身近な人には隠す事ができないみたい 「志摩子とはうまく行っている?」 「白状すると、持て余しています」 表面上は全く問題がない…あくまで表面上は…。 何もかも失って他に選択肢がない状態で信仰に身を寄せた自分とは違って、志摩子はこの世においてまっとうな選択肢の中から信仰を選んだ。 そういう意味では自分より真性のクリスチャンと言えなくもない。 初めて言葉を交わした時に天啓めいた直感があった…マリア様が自分のために遣わして下さったようだと。 佐藤聖さまとの関係が安定したものになったのは志摩子を妹にしてからだったし、笑顔で送り出すという誓いを果たせたのも志摩子がいてこそだった。 今でもそんな志摩子を教え導くたびに無上の喜びを感じる。 ただ、自分の都合を押し付けすぎる事を警戒して一定の距離を置く事は忘れなかった。 久保栞と藤堂志摩子は恐ろしいぐらい相性が良すぎる。 久保栞と佐藤聖の二人なんてとても及ばない程に。 その気になれば志摩子の家の事情などそっちのけで寮に住まわせ、一日を通して志摩子につきっきりになる事だってできた。 そんな生活には夢のような魅力を感じる。 でも、それでは駄目なのだ。 互いの事しか考えられないような、そんなつまらない事はしたくなかった。 そんな失敗例は首にかかったロザリオの持ち主が示してくれている。 「志摩子は知っているけどロザリオを二つも持っといて。一つもあげないと言うのは感心しないな」 一つは長谷川詩織さんのもの、もう一つは佐藤聖さまがくれたもの。 志摩子の両親とは懇意にしているけれど、あの子の家の事情はまだ決着した訳ではない。 そんな志摩子の重荷になったりしないだろうかと恐れてきた…。 「本当の事言うとね、昨日梶浦緋紗子先生に電話された時にはここに来る事に乗り気じゃなかったの。 こうやって会いに来るのもちょっとした冒険だったんだ。 栞が怒るんじゃないかって…怖かったの」 「そんな事!」 こうやって話せるだけでも嬉しくてたまらないのに… つい…全力で反論したくなるけど、言葉が続かなかった。 確かに一年前の栞なら確実に怒っただろう…直接寮を訪れるなんてもってのほかだった。 でも…その変化が伝わるとは限らない…いや…無言で伝わる事を期待する方がおかしい… 「わかる?栞が抱えてる不安なんて本当はその程度の事なのかもしれないんだよ」 そうだった。 今までいくつもの幸運な出会いを果たして何度も救われた、なのに今更何を恐れると言うのだろうか? 「栞…次はエトワールスールについて話してよ」 今は、主がくれたこの再会を喜べる事を感謝しよう。 帰ってくる寮生達に笑顔で答えられるためにも。 瑞穂さんも御門さんも笑顔で迎えられるように…。 初めて御門さんから瑞穂さんの編入を告げられたのは、志摩子の御両親に一歩踏み込んだ関係になる許可をもらうために志摩子の家を訪ねた時だった。 その時の言葉は… 『素行が悪いからリリアンになじめるかどうかわからないの』 …だったから。 「へぇ…私みたいなのを想像してたんだ」 「ええ…当時はまだ見ない編入生を教え導く事ができるよう祈ったりもしたのですが…」 初めて会ったのはエトワールスール選挙を行うための資料を紫苑さまから受け取るために寮に戻ろうとしていた時… あの時、思わず声をあげてしまった。 それは夕焼けの並木道でたたずむ二人のリリアンの生徒があまりにも絵になっていたからというのもあるけれど…御門さんから聞かされていた印象とは正反対だったから…。 「だとすると可愛い?ひょっとして私好みなの?」 「…そういえば瑞穂さんは聖さま好みと言えなくもありません」 新入生歓迎会では、山百合会に協力し…紅薔薇さまに対抗する編入生の役を完璧に演じてくれた。 「寺の娘でありクリスチャンである志摩子の宗教装身具を盗んでさらすとは失礼にも程がありまーす♪ この様な侮辱を受ければ昔日には手袋を投げて決闘しかないというほどのー♪」 「や…やめてやめて…」 新入生歓迎会の時、新入生全員の前で瞳子ちゃんへお説教を再現したのは思い出してしまったじゃないですか…でも影で見守ってくれていたのは嬉しかったり…。 「でもどうして、栞はその人の事が嫌いになったの?」 『彼女』は大切な仲間の一人だと思っていた。 でも、あの秘密を知っただけだ…それであの人の内面が変わるはずもない。 どうも神経質になっていたらしい。 冷静になってみると問題があるのは告白室で問い詰めるという冷静さを欠いた行為だった。 体調を崩した直接の原因は瑞穂さんではなく、その日に勤めをこなす事さえできないぐらい無理をした自分にあったのに…。 「何か隠してるわね」 「お姉さま、世の中にはあるんですよ。言いたくても言えない事が…」 「じゃあ栞。静のこのメッセージはどういう事なのかな?」 佐藤聖さまは鞄から携帯電話と呼ばれるものを取り出し、見慣れない小さな機械の中の文字を示してきた。 『久保栞さんの不調の原因になった宮小路瑞穂さんへの報復としてリリアンの制服を着て白薔薇さまの部屋に待機し、下校直後のエトワールのお姉さまが甘えちゃって下さい』 一体何を考えているのでしょうか?蟹名静さんは…。 あとがき 困った時の聖さま頼り、最高だよ佐藤聖さま。 レイニーブルーでもやっててくれた、対栞さまVerです。 さて、蟹名静さんは一体何をやらかしてくれるのやら… |