白薔薇さまの責務 「………よく話してくれました」 緊張しながら祐巳が話し終えると、告白室で向き合う栞さまは祈るように閉じていた目を開いて労いの言葉をかけてくれた。 お嫌いな梅雨の季節だからという理由では説明できないぐらい選挙が終わってからの祥子さまは目に見えておかしくなっている。 更に悪い事に元々あまり相性がいいとはいえなかった栞さまとの関係がものすごく険悪になってしまった。 栞さまは滅多な事では反論したり対抗したり、まして腹を立てたりする事はしないけれど…この前の選挙で祥子さまの事をお叱りになった。 それが成り行き上仕方がなかったという事はわかっている。 でも、祥子さまとしては全校生徒の前で諭されて…その事を根に持ってしまっているみたい。 妹にできる事は、栞さまが祥子さまの事を誤解するのだけは絶対に避けることだけ。 だから、栞さまに話した。 何故かわからないけれど、厳島貴子さんや松平瞳子ちゃんまでも巻き込んで祥子さまがエトワールスールになろうとしていた事を…。 「このことは絶対に誰にも話さないと誓わなければならないようですね」 祥子さまのご気性から考えると、こんな事栞さまに話したなんて知れたら裏切られたと思うだろう。 そして栞さまはシスターにあるまじき告白室の内容を他の人に語るという前科持ち…こうして打ち明けるのには迷ったけれど…その心配は無用だったみたい。 「ここが告白室だから言うのですが、祥子さんのように気を引き締めすぎてしまう人は一番扱いが難しいんです。 御門さんとは正反対で相談することなく抱え込んでしまいますから、穏便に話し合う事が望めないので…」 意外な事実…栞さまの中では祥子さまは御門さまよりも傍若無人に思われていたなんて…。 ちょっと不満、いくら御門さまと親しいからといってそれは明らかなひいきだと思う。 気難しいときもあるけれど…御門さま以下と言うのは…。 「いつもしっかりしているのには憧れますが…孤高を貫いていないと人と対等に話せないと言う点で告白室とは縁が遠いのです。だから私と恐ろしく相性がよくない…」 あ…一応自覚はあったんですね…栞さま。 「私に何かできる事はあるでしょうか?」 「祐巳ちゃんは今のまま祥子さんとスールでいてください。 あなたがいるのといないのとでは大きく違いますから… さて、代わりに私は何を話すべきでしょうか」 栞さまは悩みを相談してきた人に自分の事を話す事が多い。 経験をもとにして自分の考えを語ったり、秘密の共有として自分の秘密や過ちの経験を語ったりする。 「話したのは私の勝手な要望なんですから、栞さまは無理をしなくても…」 でも、今回の祐巳は祥子さまの状況を白薔薇さまに知ってもらいたかっただけなのだ。 解決の方法も秘密の共有も必要がないはずなのだけど…。 「それでは、どうして私が二つもロザリオを持っているかを話しましょう…祐巳ちゃんはミステリー1番『音楽準備室の鳴り出すピアノ』について何を知っていますか?」 こんな風に栞さまは温和なようで強情な所があったりする。 栞さまにこの手の話題を話してしまってもいいのだろうか? ミステリーは昇天しきれない存在や不自然な物を扱う事が多い。 この前の新聞部のミステリーアンケートが問題なく掲示されたからシスター達もあえて介入する必要を感じなかったのかもしれないけど…本来ならカトリックではご法度なのである。 そんな祐巳のためらいを見通すように栞さまは付け加えた。 「私は祐巳ちゃんが入学する前の…二年前の出来事が今どんな影響を与えているかを知りたいのです。 それにリリアンの生徒がどんな噂をしていても…聖書に反していなければ口を挟むつもりはありません。 私はただ、あの時にいなかった人達の見解を知りたいだけなのです」 「そんなに詳しい事を知っているわけじゃありません…」 二年前リリアンに在籍していた人は今の三年生だけなのだし、ミステリー1番という形でリリアンかわら版に掲載されなければ記憶に残らないような事だから。 「二年前の十一月から十二月にかけて、誰もいるはずのない音楽室準備室のピアノがひとりでに鳴り出す事があって…多くの人がその音を聞いたという事しか…」 「リリアンかわら版に掲載された事以上は知れ渡っていないのですね。 実はもっと複雑で深刻でした、その演奏を聞いた人の大半は不思議なぐらい情緒が不安定になってしまって…ノイローゼが伝染するようになってしまった。 ですが、三学期になるとピアノは鳴り出すことはありませんでした。 蟹名静さんと佐藤聖さまの姉妹(スール)という新鮮な話題によってみなさんの不安もなりを潜めてくれました…」 あの怪談に関してミステリーアンケートでは最も詳しい事が書かれていたのに、誰も話題にしないのはそう言う理由なのだろう。 あの怪談は蟹名静さまと佐藤聖さまの姉妹だった事が思い出されるから…。 それにしても、うやむやなったピアノの演奏はまた聞こえたりしないだろうか? そんな事を考えた時、栞さまはとんでもない事をおっしゃった。 「大丈夫ですよ、ピアノを弾いていた長谷川詩織さんはクリスマスに昇天しました…最期にこのロザリオを私に託して…会いたかったお姉さまに抱かれて…」 びっくりして栞さまの表情をうかがうけれど、とても冗談を言っているとは思えない。 「長谷川…しおりさん?」 「ええ、私と同じ名前の…13年前に亡くなったリリアンの生徒でした。 みなさんがこの会談を話題にしない本当の理由は、ピアノを弾いていた幽霊のシオリという名前だけがなぜか知れ渡っていたからなんですよ」 じゃあ、その時の久保栞さまは…。 「もう済んだ事ですよ。その次の二月に」 「私も知っています。 バレンタインデーにマリア様の前で蟹名静さまが佐藤聖さまにロザリオをお返しして…聖さまは栞さまと姉妹になった…」 だから栞さまは二つのロザリオを持っているの。 一つは長谷川詩織さんから託されたもの、もう一つは佐藤聖さまから頂いたもの。 「信じていただけるとは本当に不思議ですね、祥子さんがあなたを妹にした理由がわかる気がします」 あっさり信じてもらえたことに栞さまが驚いているけれど、この部屋で目の前の白薔薇さまが冗談を言うなんて考えられない。 「私はまだ、ロザリオを志摩子にあげればいいのかわからない。 あの子は私と似ているようで似ていない。 見てきた物が違いすぎて、私と同じものを見せたくないと思うのは姉としていけない事でしょうか?」 その言葉に、栞さまの苦悩が感じられてついうつむいてしまった。 「わかってますよ。私は祐巳ちゃんに答えを出してもらおうなんて思っていない。 ただ、祥子さんの妹であるあなたに知ってもらいたかっただけです。 話はここまでにしましょう」 そう言った後、薔薇の館でするように栞さまが手を合わせたのにならって祐巳も祈りのために目をつむった。 あれ? いつもならすぐに聞こえてくるはずの栞さまの述べる祈りの言葉が聞こえてこないのはなぜだろう? 「栞さま…?」 目をあけてみると、目の前の栞さまの様子が変わっていた。 あわされているはずの手は下げられて首が傾いていて…その表情に驚いた。 天使のようだとリリアンのみんなが憧れる白薔薇さまのものではなくて、普段は絶対に見れない緩んだ『普通の』表情だったから。 普段とあまりにも違うので、寝ているという事実に気付くのに少しかかってしまった。 その表情を見て思い知る。 あの面倒くさがりな御門さまが毎朝無理に早起きしてまで世話を焼きたがる理由がコレだ。 こんなのを見せられたらできるなら支えになってあげたいと思うだろう。 栞さまは普通を絵に描いたような家庭で幸せに過ごす事ができた祐巳とは経験してきた事が違いすぎるのだ。 もし、運命から許されたのなら祐巳と同じような…そして今祐巳の目の前にいるような…どこにでもいる普通の女の子でいられたはずなのに…。 せめてこのまま寝かせてあげようと思い、告白室を後にした。 きっと告白室を出てすぐに、栞さまが出てこない事を疑問に思ったリリアンの生徒達が声をかけてくるだろうけどそこは紅薔薇のつぼみの腕の見せ所。 そう思い、礼拝堂にもどる…けど…。 「祐巳ちゃん…白薔薇さまに会いたいのだけど、よろしいわね」 あの厳島貴子さんを手のひらで転がす事のできる蟹名静さまがいた。 どうしてこのタイミングでこの人が現れるの? 「いけません。祈りを中断すると怒られますよ」 用意していた言葉を述べるけれど、相手が悪すぎる…。 「来る物拒まずの告白室に引きこもるなんてどういうつもりかしら? そんなシスターらしからぬ栞さんには怒られたって構わない…と言うより本当の事を言った方が楽になれるわよ」 …六秒で惨敗… 蟹名さまにはかなわない事も…嘘をつけばすぐ顔に出るという事もわかっていたけど、紅薔薇のつぼみとしてちょっとこれは情けない…。 結局、蟹名さまの侵入を許してしまうのでした。 あとがき 「静かな夜の鎮魂歌」の真相解明、こうして栞さまと聖さまは無事にハッピーエンドを迎えてたのです。 更に祐巳ルートへの伏線をようやくここで張れました…コレを考え付くのに二ヶ月かかってしまった…運用は計画的に… しかし、「もっと過去話を解明して」という要望がこんな偶然で構成の役に立つとは…読者の力侮りがたし |